論文出版:絶対音感と相対音感

絶対音感を持つ人は、どうやって「相対音感」を使うのか?

私たちの研究グループから、音楽の「絶対音感」と「相対音感」の関係について調べた論文が、Frontiers in Psychology に掲載されました。

Cognitive control in music: adaptive strategies for relative pitch across the absolute-pitch proficiency continuum

筆頭著者は、私が指導している大学院生の柴山夏蓮さんです。柴山さんは大学院で、相対音感がどのように獲得されるのか、その認知・神経メカニズムについて研究しています。今回の研究では、絶対音感の程度が異なる人たちが相対音感を使うとき、頭の中でどのような「戦略」を使っているのかを詳しく調べました。

絶対音感と相対音感は、かなり違う能力

絶対音感とは、基準となる音がなくても、聞こえてきた音を「これはド」「これはファ♯」というように特定できる能力です。

一方、相対音感では、その音が周囲の音との関係の中でどの位置にあるのかを判断します。たとえば移動ドでは、ハ長調ならCが「ド」ですが、ニ長調ならDが「ド」になります。

音楽を理解するうえでは、実はこちらの相対的な関係が非常に重要です。同じメロディーを別の高さに移調しても同じメロディーとして聞こえるのは、私たちが個々の音の絶対的な高さだけではなく、音と音との関係を聞いているからです。

ここで面白い問題が生じます。

絶対音感を持っている人には、たとえばCという音を聞けば、ほとんど自動的に「ド」という音名が浮かびます。ところが、そのCが変ニ長調の中で鳴っていれば、移動ドでは「シ」になります。

つまり、

自動的に浮かんでくる絶対的な音名と、その場の調に応じて判断しなければならない相対的な音名が衝突する

ことになります。

これは、文字の意味を無視してインクの色を答える「ストループ課題」に少し似ています。自動的に生じる反応を抑え、現在の目的に適した処理に切り替えなければならないからです。今回の研究では、音楽をこのような**認知制御(cognitive control)**の問題として捉えました。

50人に「移動ド」で音を答えてもらう

研究には、音楽経験や絶対音感の程度がさまざまな大学生50名が参加しました。

まず絶対音感テストを行い、その後、和音進行を聞いて調を把握してから、最後に提示された単音が「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」のどれに当たるのかを、移動ドで答えてもらいました。

重要なのは、調の条件を変えたことです。

一つ目は、ずっと**ハ長調(C major)**が続く条件です。ハ長調では、固定ドと移動ドの音名が一致します。

二つ目は、ずっと**ロ長調(B major)**が続く条件です。ここでは固定ドと移動ドがずれますが、そのずれ方は毎回一定です。

三つ目は、試行ごとに調がランダムに変わる条件です。この場合、毎回新しく「今回のドはどの音か」を判断しなければなりません。

研究では単なる正答率だけでなく、反応時間、さらに「どの音をどの音と間違えたか」という誤答パターンまで分析しました。

絶対音感が高い人ほど成績は良い。しかし、それだけではなかった

まず、絶対音感が高い人ほど、全体として相対音感課題の正答率も高いことが分かりました。

特にハ長調では、絶対音感の高い人は非常に高速に回答しました。この条件なら、聞こえた音の絶対音名をそのまま答えればよいためです。つまり、絶対音感による自動的な音高認識を、そのまま利用できます。

ところが、ロ長調になると事情が変わります。

絶対音感の高い人の反応時間は長くなり、特徴的な間違いも現れました。その誤答パターンを詳しく調べると、まず絶対音感によって音名を認識し、そこから頭の中で音名をずらして移動ドに変換するという戦略を使っていると考えられました。

たとえば「これは絶対的にはC♯だから、ロ長調ではレ」というような処理です。

絶対音感を捨てて相対音感だけを使うのではなく、いったん絶対音感で認識したものを変換するわけです。

調がランダムになると、戦略そのものを変える

さらに興味深かったのが、調が毎回ランダムに変わる条件です。

この条件では、先ほどの「絶対音名を認識してから移動ドに変換する」という方法はかなり大変になります。毎回、変換規則そのものを更新しなければならないからです。

そこで一部の絶対音感保有者には、まったく別の誤答パターンが現れました。

和音の中の「ド」ではなく、「ミ」や「ソ」を基準音だと誤認したと考えるとうまく説明できる、3度や5度ずれた誤答が増えたのです。

つまり、課題が難しくなると、一部の人は絶対音感を利用した音名変換をやめ、和音の構成音を手がかりとして相対的に音を判断する戦略へ切り替えたと考えられます。

一方、非常に高い絶対音感を持つ人の中には、ランダムな調でも絶対音感を利用し続ける人もいました。

ここが今回の研究で特に重要な点です。

人は一つの方法だけで音高を判断しているわけではない。絶対音感の程度や課題の難しさに応じて、複数の処理戦略を使い分けている。

ということが見えてきました。

「絶対音感は相対音感の邪魔になるのか?」ではなく

絶対音感と相対音感の関係については、これまでしばしば「絶対音感は相対音感に有利なのか、それとも邪魔になるのか」という形で議論されてきました。

今回の結果から見ると、この問い自体が少し単純すぎるのかもしれません。

絶対音感は、ある状況では非常に強力な武器になります。実際、固定ドと移動ドが一致する状況では圧倒的に速く正確です。

しかし、音楽的な文脈が変われば、その自動性がかえって処理上の衝突を生むことがあります。そのとき人は、絶対音名を頭の中で変換したり、和音を手がかりにしたり、別の戦略へ乗り換えたりします。

つまり重要なのは、絶対音感を「持っている/持っていない」という二分法ではなく、自動的に働く能力を、状況に応じてどのように制御し、別の認知戦略と組み合わせるのかという問題です。

これは音楽認知にとどまらず、人間の認知全般に関わるテーマでもあります。

熟練した能力ほど自動化されます。しかし、自動化された能力がいつでも最適とは限りません。環境が変われば、自動的な反応を抑え、別の方法に切り替える必要があります。

音楽という身近で複雑な行動を通して、そうした人間の認知的な柔軟性を捉えたことが、この研究の大きな意義だと考えています。

音感教育にも示唆

今回の結果は、音感教育についても少し違った見方を与えてくれます。

同じ間違いをしているように見えても、その原因は人によって違う可能性があります。

絶対音感に強く依存している人、絶対音名を移調して答えている人、和音の構成音を手がかりにしている人、相対的な音程そのものを十分に捉えられていない人では、必要なトレーニングも違うはずです。

単に正答率を見るだけではなく、「どう間違えたか」から、その人が使っている認知戦略を推定することで、より個人に合った相対音感トレーニングを設計できる可能性があります。

今回の研究は行動実験ですが、次に知りたいのは、こうした戦略の切り替えが脳の中でどのように実現されているのかということです。

「音を聞き分ける能力」の研究から、「人間は状況に応じてどのように考え方を切り替えるのか」という、より広い問題へ。

音楽を使うことで、人間の認知の柔軟性そのものが見えてくるのではないかと考えています。


論文情報

Shibayama, K., Shimada, H., & Itoh, K. (2026). Cognitive control in music: adaptive strategies for relative pitch across the absolute-pitch proficiency continuum. Frontiers in Psychology, 16, 1723224. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2025.1723224

2026年1月9日公開。