論文出版:マーモセットの聴覚誘発電位の特徴

私たちの研究グループから、コモンマーモセットの聴覚脳波に関する研究論文が、聴覚科学の専門誌 Hearing Research に掲載されました。

Frequency, intensity, and reference dependence of scalp-recorded auditory evoked potentials in the common marmoset

この研究は、京都大学ヒト行動進化研究所との共同研究です。京都大学で飼育されているコモンマーモセットを対象に、人間の脳波検査とほぼ同じように頭皮上から脳波を記録し、「音の高さ」「音の大きさ」、そして「脳波をどこを基準として測るか」が、音に対する脳応答にどのような影響を与えるのかを調べました。

なぜサルの「脳波」を測るのか

人間が音を聞くと、音が耳に入ってから数十ミリ秒から数百ミリ秒の間に、脳では一連の電気的活動が生じます。

この活動は頭皮上の電極から記録することができ、**聴覚誘発電位(auditory evoked potential: AEP)**と呼ばれます。

人間では、P1、N1、P2、N2などと呼ばれる脳波成分が古くから研究されてきました。さらに、音の規則が突然変化したことを自動的に検出する「ミスマッチ陰性電位(MMN)」などを使えば、注意を向けていない音に対して脳がどのような情報処理を行っているのかも調べることができます。

こうした方法を人間だけでなく他の動物にも適用できれば、

人間の聴覚や音楽認知は、進化の過程でどのように成立したのか

という問題を、脳活動から直接調べることができます。

そこで私たちはこれまで、ヒトで使われている脳波測定法をそのままに近い形でサルにも適用する研究を進めてきました。

今回対象にしたのは、南米原産の小型霊長類であるコモンマーモセットです。マーモセットは社会性が高く、音声によるコミュニケーションも活発なため、聴覚やコミュニケーションの神経科学を研究するモデル動物として注目されています。

起きているマーモセットの頭から脳波を測る

今回の実験では、麻酔をしていない2頭のマーモセットにさまざまな純音を聞かせ、その間の脳波を頭皮上から記録しました。

使用した音は、125 Hzから16,000 Hzまでの8種類の周波数と、45、60、75 dB SPLの3段階の音圧を組み合わせたものです。

そして、それぞれの音に対して生じるP1、N1、P2、N2、さらにそれより遅い陰性電位まで、5つの聴覚誘発電位成分を調べました。

ここで重要なのは、単に「波が大きいか小さいか」を一つの電極だけで判断しなかったことです。

脳全体に広がる電位分布から応答の大きさを表す global field power(GFP) を計算し、周波数や音圧によって聴覚系全体の応答がどのように変化するかを調べました。

脳の反応は、音の高さによって大きく変わる

結果は非常に明瞭でした。

まず、聴覚誘発電位の大きさは、音の周波数によって大きく変化しました。

興味深いことに、調べたすべての脳波成分、そして2頭のマーモセットの両方で、1000 Hz付近の音に対して最も大きな応答が得られました。

そこから周波数が低くなっても高くなっても、脳波応答は小さくなっていきました。

つまり、頭皮上から測定されるマーモセットの聴覚誘発電位は、どの周波数の音でも同じ大きさで現れるわけではありません。

これは一見すると当たり前のようですが、今後マーモセットを使って複雑な聴覚実験を行ううえでは非常に重要です。

たとえば二つの異なる周波数の音に対する脳波を比較して差が見つかったとしても、それをすぐに「脳が二つの音を異なるものとして認識した」と解釈することはできません。

そもそも聴覚誘発電位自体が、音の周波数によって大きく異なるからです。

大きな音ほど脳波も大きい。しかし単純ではない

音圧についても明確な影響がありました。

45、60、75 dB SPLと音を大きくすると、全体として聴覚誘発電位も大きくなりました。

しかし、周波数の効果と音圧の効果は完全に独立しているわけではありませんでした。

多くの脳波成分で、音圧が大きくなるほど周波数による応答の違いも明瞭になるという相互作用が見られました。

つまり、マーモセットの脳が音に反応する大きさは、

「何Hzの音か」

だけでも、

「何dBの音か」

だけでも決まりません。

周波数と音圧の組み合わせによって決まることになります。

これも、将来MMNなどを使って「音の変化を脳が検出したか」を調べる際には重要なポイントです。

そしてもう一つ、意外に重要なのが「脳波の基準点」

今回の研究でもう一つ詳しく調べたのが、脳波の**参照電極(reference electrode)**です。

脳波では、ある場所の電圧を単独で測っているわけではありません。必ず「基準となる場所」との電位差を測っています。

人間の脳波研究では当たり前の問題ですが、参照電極をどこに置くかによって、波形の見え方が変わることがあります。

そこで今回は、左右の耳を基準とする方法など、3種類の参照法で同じマーモセットの脳波を比較しました。

すると、違いは予想以上に大きなものでした。

左右の耳を基準とした場合には、

P1 → N1 → P2

という、人間の聴覚誘発電位でもよく知られた「陽性―陰性―陽性」の波形が明瞭に現れました。

ところが、全電極の中央値や平均値を参照にすると、前頭部と頭頂・後頭部との間で波形の極性そのものが反転して見える場合がありました。

つまり、同じ脳活動を記録しているにもかかわらず、解析時にどこを基準にするかによって「プラスの波」にも「マイナスの波」にも見えるのです。

これはサルの脳波研究で結果を比較するときに、かなり重要な問題です。

基礎的な研究が、なぜ必要なのか

今回の研究で行ったことは、ある意味では非常に基礎的です。

音の高さを変える。

音の大きさを変える。

脳波の参照方法を変える。

そして脳波がどう変化するかを調べる。

しかし、こうした基礎データがなければ、その先にある複雑な認知機能を正しく研究することができません。

たとえばマーモセットに

「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……」

と同じ音を繰り返して聞かせ、ときどき違う音を混ぜるとします。

違う音に対して脳波が変化したとしても、それが本当に「予想外の音を検出した」ことを意味しているのか、それとも単に周波数が違うために基本的な聴覚誘発電位の大きさが変わっただけなのかを区別しなければなりません。

MMNのような高次の聴覚反応を研究するためにも、まず通常の音に対する脳の応答特性を知る必要があるのです。

今回の研究は、そのための基準となる地図を作った研究と考えることができます。

ヒトとサルを「同じ物差し」で比べる

私たちがこの研究で目指していることは、マーモセットの聴覚そのものを記述することだけではありません。

重要なのは、ヒトとサルで同じ脳指標を測れるようにすることです。

動物の脳研究では、脳内に電極を入れて一つひとつの神経細胞の活動を調べる方法が大きな力を発揮します。一方、人間では通常、そのような測定を行うことはできません。

そのため、

「サルでは神経細胞を測る」

「ヒトでは脳波を測る」

という異なる方法で研究すると、両者の結果を直接比べることが難しくなります。

そこで、ヒトで使われているのと同じように、サルでも頭皮上から非侵襲的に脳波を記録します。

そうすれば、

同じ刺激を聞かせ、同じ脳波成分を測り、同じ解析方法で比較する

ことができます。

この「共通の物差し」を作ることが、種を超えて脳機能を比較するうえで非常に重要だと考えています。

「ヒトらしい聞こえ方」は、進化のどこで生まれたのか

私たちが最終的に知りたいのは、もっと大きな問題です。

ヒトは音を単に検出するだけではありません。

音を時間的にまとめ、規則性を見つけ、予測し、言葉として理解し、さらには音楽として楽しむことができます。

では、そのような情報処理能力のうち、何が他の霊長類にも共有されていて、何がヒトへの進化の過程で大きく変化したのでしょうか。

その問いに答えるには、人間だけを研究していても十分ではありません。

マーモセットやマカクなどの他の霊長類とヒトの脳活動を、できるだけ同じ条件、同じ方法で比較する必要があります。

今回の研究は非常に基礎的な一歩ですが、こうした基盤を積み重ねることで、将来的には「音の規則性」「リズム」「予測」「音楽」といった、より複雑な聴覚機能を種間で比較できるようになります。

ヒトの脳の何が特別なのかを知るために、ヒト以外の霊長類の脳を、ヒトと同じ物差しで見る。

今回の研究は、そのための基盤づくりの一つです。


論文情報

Itoh, K., Konoike, N., Mashita, K., & Nakamura, K. (2026). Frequency, intensity, and reference dependence of scalp-recorded auditory evoked potentials in the common marmoset. Hearing Research, 482, 109827.

https://doi.org/10.1016/j.heares.2026.109827

京都大学ヒト行動進化研究所との共同研究。