第10回 音楽の心理学

講義

今回は、前回に引き続き心理学の話で、「物理世界 ≠ 心理世界」が主題です。

同じ周波数(Hz)なのに、違う高さ(ピッチ)に聞こえたり、同じ音圧(dB SPL)なのに違う大きさ(ラウドネス)に聞こえたり、音が切れているのにつながって聞こえたり、といった現象を体験しました。

トライトーン・パラドクスでは、音の高さが上がったか下がったかという、とても単純な知覚判断が、ひとりひとりで随分と違いました。自分と違って聞こえる人が、これほどたくさんいることは驚きだったかと思います。

自分の見ている世界や聞いている世界は、人と同じではないかもしれない。そう思うと、ちょっとだけ人に優しくなれます。それが「教養」への一歩かもしれません。

Q&A

今週のピックアップ

ミッシング・ファンダメンタルで本当は鳴っていないはずの音が聞こえるが、この音は“音”といえるのでしょうか。音を「空気の振動を人などが感知したもの」とするならば、この“音”は感知しているものの、実際に空気を振動させていません。(医保)


素晴らしい質問です。

部分で考えず、全体で考えると分かりやすいでしょう。

柱か何かで、犬の体の一部分が隠れているとします。柱に隠された部分は目には見えていません。しかし、あなたは一頭の犬を知覚します。一部が見えていないから犬ではない、とは言えないでしょう。

複合音も、複数の倍音を全体として一つの音と認識していて、”一部が隠れて”いようと、”全体が”ひとつの音として知覚されるのです。その時のピッチにあたる周波数が、物理的には存在してなかった、ということです。

「錯覚」は「外界の物事をその客観的性質に相応しない形で知覚すること」と辞書に書いてありました。客観的性質が物理世界を意味しているとすると、物理世界と知覚世界は対応しないので、錯覚は知覚とイコールだと思いました。(人文1)


まったく同意見です。

高い音を小さくするとピッチが上がって聞こえ、低い音を小さくするとピッチが下がって聞こえるということは、中間地点を調べると音の大小に関わらず一定のピッチに聞こえる音が存在するのか?(数名)


はい、そういうことです。よく気が付きましたね。

音のデモンストレーションで、自分はこうだと思っているのに他の人が自分の意見と違ってて面白いと思った(理)同じ音を聞いているはずなのに、違う音に聞こえるのは到底受け入れられない(人文)


過去の学生が、こんなことを書いていましたよ。

「私とちがう人がいた!」ということに驚きましたが、これを「ちがう人もいるんだ。すごい!」と思えることが、先生の言っていた「社会」に出る一歩だと思いました

この個人差、自分の見識が必ずしも正しい物ではなく、また、そもそも「正解」「不正解」に囚われることが間違い、ということが分かりました。

人によって音の感じ方が異なってくるのは、耳の性質からですか?それとも、脳の性質からですか?(教)


耳の個人差の影響もまったくないとは言い切れませんが、ほとんどは、脳の影響だと考えられます。耳は学習の影響を受けにくいので個人差が少なく、反対に、脳は学習の影響を強く受けるので、個人差がとても大きいからです。ということは、逆に言えば、錯覚に個人差が大きいかどうかで、耳と脳のどちらが原因なのかが推測できそうですね。

訓練などによって錯覚を取り除き、ありのままの物理現象を捉えることは可能になるのでしょうか。(人文)


いったい何をどう聞いたら、「ありのままの物理世界を捉える」ことになるのでしょう?

1000 Hzで 40dB の音を聞いて、一体どのような高さでどのような大きさに感じられば、「ありのままの物理世界を捉える」ことになるのでしょうか?

「かばかばかばかば・・・・・」と「かば」を早口で繰り返す音声を聞くと、最初は「かば、かば・・・」と聞こえていたのが、途中から「ばか、ばか・・・」に聞こえてきます。これは、いったいどう聞こえるのが、「物理世界をそのまま聞いた」ことになるのでしょう? そもそも日本語を知らない人は、「かば」にも「ばか」にも聞こえないかもしれません。

「ありのままの物理世界を捉える」ということ自体が、空想の概念だと思いませんか?

最後のスライドで、鼓膜で受け取った振動で、脳は音を感知していると仰っていたと思うのですが、脳で処理されているのは、目で見た情報や、その時に聴いている、場所によっても、音の感じ方は変わるのかなと思いました。(工1)


視覚と聴覚は連動しているので、互いに影響を及ぼします。有名なのはマガーク効果ですね。

第13回目「マガーク効果ってなぁに?」 | SOUNDABOUT
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そのほか

音の錯覚

視覚の錯覚を利用した施設や本などは沢山あるので知っていましたが、聴覚の錯覚は私の勉強不足か、存在から知りませんでした。なぜ聴覚の錯覚を利用したものはあまりないのでしょうか。(農ほか)


印刷できないので本にしにくいですし、音ですから全体の把握に時間がかかり、絵のように一瞬でつかめません。

そして、そもそも説明が難しい。

皆さんは、これまで「周波数」や「音圧」や「倍音」や「スペクトル」という概念を講義で習ってきたからこそ、これらの錯覚を理解できましたが、そうでないと、なかなかすぐには伝わらないのではないでしょうか?

逆に言えば、皆さんはずいぶん音に詳しくなってきたということです!

音の大きさを変えただけで本当に音の聞こえ方(高さ)が変わるので驚きました。実際これを日常生活で実感することがないのは、私が気にしていないだけなのか普通の生活ではわかりづらいものなのか気になりました。例えば楽器の強弱などでは特に音のずれを感じたことはない気がするのですが違和感を感じるほどの変化ではないということなのでしょうか。(農)


実験では純音を使いました。楽器の音のような複合音では、この効果はここまで大きくありませんので、普段気が付かないのはそのせいでしょう。

連続間の知覚の実験で、トルコ行進曲という誰もが聞いたことあるような曲を用いて行っていたが、はじめて聞く曲で同じように実験をしても、同様の結果が得られるのか気になった。(多数)


察しの通り、補完をするには何の音を補完したらよいのか脳が知っている必要があります。

文字の場合にもタイポグリセミア現象があるように、音においても脳がそんなことを行ってしまうということに、面白さを感じました!(法)


知っているものに”寄せる”というのは、知覚や認知の一般的な現象ですね。便利であると同時に、考えようによっては怖いものでもあります。

ミッシング・ファンダメンタルがなぜ聞こえてしまうのか気になりました。1つ考えたのが、自然な環境では基本周波数が欠けた音というのはありふれたものではないため、脳の処理の段階でその音があるものとして錯覚するのではないかと思いました。(農)


そうですね。「頭と尻尾だけで胴体のない犬」は、ありふれたものでないため、電柱にかくれた胴体は当然あるものとして、脳は知覚します。基本周波数がない音は、確率的になかなかあり得ない不自然な音で、「頭と尻尾だけで胴体のない犬」と似ています。それで、かってに補完をしてしまう、という説があります。

ただ、別の説もあります。ミッシング・ファンダメンタルが聞こえる音の波形を見ると、実は、ちょうどミッシング・ファンダメンタルの周波数に相当する周期で波形の繰り返しが起きています。この波形の周期を知覚している、という説明です。おそらくこちらが正しいでしょう。

今日の講義で一番興味深かったのは、ミッシング・ファンダメンタルでした。基本周波数を欠いた倍音列を聴くと、存在しないはずの基本周波数の音高が認知されるという現象でした。この話がとても印象に残ったので、実際にどのようなところでこの現象が応用されているのかを調べてみました。その結果、電話に応用されていることが分かりました。ヒトの声の基本周波数が300Hz未満であるのに対して、電話が伝送可能なのは約300~3500Hzであるため、基本周波数は伝送されませんが、声に含まれる300Hz以上の倍音列が伝送されるので電話越しに聴こえる声の高さは直接会って聞く場合と変わらないという仕組みです。とても身近に使われていて感動しました。(工ほか数名)


その通りです。

低い音(ミッシングファンダメンタル)は勝手に補完されるので、わざわざ通信で送る必要がない、ということです。ミッシング・ファンダメンタルの原理は、一部のオーディオ機器で、低音を強調するのにも使われています。

トライトーンパラドックスにとにかく驚かされました。ただ音が上がったか?下がったか?の二択の質問で講義室の意見が2つに別れたことから、聞こえてる音量や音源は全く同じなのに…と感じました。(農1)

他の意見を聞くと、別の聞こえ方がしてくる気がしました。(農)

上の音を聴こうとするか下の音を聴こうとするかで聞こえ方を意識して変えられた。私は両方が同時に聞こえた。(教)

自分と違う聴こえ方の人がたくさんいてかなり驚きました。(人文ほか)


この音には、「上がる成分」と「下がる成分」が混在していて、多くの人はそのどちらか一方を重視して聞きます。しかし、それぞれの成分を分離して聞くことも(コツをつかめば)可能です。私はできませんが。

トライトーンパラドックスで音が上がったか下がったか人それぞれ全然違うことが今日の講義で分かったのですが、あんな単純な二音だけでも人によって全然違うのであれば、同じ音楽を聴いても私が感じている音楽と友達が感じている音楽は全然違うのでしょうか。(工1)

今日の授業内の実験で、二つの音が下がってるか上がってるか意見が分かれましたが、なぜ世にある曲ではそのような現象が起こらないのか気になりました。(医保)

今日の実験の音声は電子音だったが、楽器の音で錯覚を起こすことは可能なのが気になった。(教1)


シェパードトーンにしても、ミッシングファンダメンタルにしても、特殊な倍音構造の音を人工的に作り出しているからこそ起こる現象です。声や楽器などの通常の音では、このような知覚の個人差は生じにくくなっています。

私は絶対音感を持っていないのでシェパード・トーンの無限音階を聞くとどんどん音が上がっていくように聞こえるのですが、絶対音感を持っている人は音が上がっていくように聞こえないのでしょうか?(農1ほか)


絶対音感のある人もない人も、同じように錯覚を感じています。

絶対音感は、「聞こえた音の高さに対して、音名がわかる」能力です。この前半部分、すなわち音が聞こえるというところについては、絶対音感の有無にかかわらず皆同じで、後半部分の「音名がわかる」というところだけが違います。

音楽

プロコフィエフの交響曲でホルンの和音を紹介してくださいましたが、実際にホルンを吹いている身としては1stから4thで一本のホルンに聴こえるように演奏するのが一番難しいところです。吹奏楽の楽譜ではあまり見られず、オーケストラの楽譜で多いのですが、難しくもありうまくいくと本当に楽しいので、オーケストラはやめられません。(人文)


作曲者は、自作を、演奏者に演奏してもらわないとなりません。演奏者がその曲を楽しいと感じ、やる気を出してくれた方が、良い演奏になります。だから作曲家は、こんなところにも気を遣うのですね。

複合音が人の声に聞こえたように、楽器の音を人の声に聞こえるように演奏することはできますか?(教) オーケストラがたまに歌声のように聞こえることがあります(工)


ドビュッシーの『海』などどうでしょうか? 有名で素晴らしい曲なので、ぜひ組曲の3曲とも聴いてみて欲しいですが、ここでは第3曲だけ載せておきます。途中(4分)で合唱が入ったかのように聴こえるところがあります。生で聴くと感動します。(https://youtu.be/ITDteHEyJHw

以前YouTubeで本来は流れていないはずの歌声が、一見無作為に弾かれているように聞こえるピアノの中から聞こえるという動画があったのを思いだし、それはこれを利用したものなのだと思ったのですが、思い返してみると聞いたことのない曲のバージョンを聞いたときには歌声は聞こえてきませんでした。(理)

はい、こんな遊びもありますね。音高の組み合わせだけで歌詞をつくっています。何名かの受講生から似た指摘がありました。

その他

この講義の最後には、先生が英語で書かれた図をよく利用することに気づき、その意図について考察している方がいると知った。この方のように、様々な視点を持ち、視野を広くして講義に取り組むことで、新たな発見があり、それを自分の教養にいかすことができるかもしれないと思った。(農2)


みなさんが講義から得られるものは、「講義内容そのもの」だけではありません。話の裏に隠れたメッセージは何か、どのように話すと分かりやすいか(分かりにくいか)、どのようなスライドが見やすいか(見にくいあ)、どのような講義の組み立てにすると飽きない(飽きる)のか・・・。自分の態度次第で、学べることはいくらでもあるのです。

紹介しないことも多いですが、「裏のメッセージ」に気づいてくれる人が増えてきていて嬉しい限りです。

例えばこんな気づきができるのはとても素晴らしいですね。

最近の講義を受けて行く中で音楽を聞いて人によって感じ方が違う理由について分かってきたような気がしました。(法1)

今まであまり読書が好きではなく、最近は本を読むことが楽しいと思えていなかったのですが、1冊参考図書を買って読み始めると、本を読むことの楽しさを久しぶりに感じることができました。(人文1)

初めてのバイト代が昨日出て、そのお金でようやく参考図書を買いました。働くのは思っていたよりも大変だったけれど、本を読んで得られる教養と知識に加えて社会経験も身に付いたため一石二鳥だと感じています。(人文)

最近先生の課題図書を読んでいるうちに読書が楽しくなってきました。(人文)


大学時代、私はかなりのお金を本代に費やしました。そして、(お金がなかったので)不要と思った本は、どんどん売りました。そして、そのお金で、また本を買いました。

講義前や講義中に流してくださる曲が毎週の密かな楽しみなのですが、今回の講義では私が演奏したことのあるチャイコフスキー交響曲第四番第四楽章や、プロコフィエフでホルンをピックアップしてくださったりなど、個人的に気分が上がる選曲でした。また、ロックやギターの超絶技巧の動画など自分では積極的に聴かないジャンルの曲を聴かせてくださるのも新鮮で楽しいです。今後も密かに楽しみにしています。(人文)


ありがとうございます。こういう感想をもらうと、よし、また紹介するぞという気になります。逆に何も反応がないと、興味がないのかな、やめようかな、という気になります。

この授業に限らず、講義は先生からの一方通行に見えるかもしれませんが、実は、受講生の反応が作っているものでもあるんですよ。