参考図書(過去受講生の書評付き)

鴻上尚史 「空気」と「世間」

過去受講生の書評

「空気を読め」。日本人であればほぼすべての人々が聞き、経験してきたであろう言葉だ。暗黙の了解ともいうべきその重圧の存在は多くの人にとって辛く苦しいものである。そんな息苦しい社会はもう嫌だという人々にぜひとも読んでもらいたいのが鴻上尚史著作の『「空気」と「世間」』だ。著者の鴻上氏は作家・演出家であると同時にラジオパーソナリティやテレビの司会、映画監督など幅広い領域で活躍している人物である。そんな鴻上氏が語る『「空気」を読まずに息苦しい日本を生き抜く方法』は多くの人にとって参考になるはずだ。

私自身本書を読んでいて腑に落ちた部分がある。『求められるのは、「相手を思いやる能力」ではなく、「相手とちゃんと交渉できる能力」なのです。』という言葉だ。自身を含め「空気を読め」「他人の迷惑にならない人間になれ」といわれ続けたことで相手のことを気にしすぎて精神的に追い込まれてしまった経験がある人は多いはずだ。すると、人は自分の意見が他人と対立したり、他人に頼るということが迷惑だと勘違いしてしまい、他人との接触を避けてしまうようになる。しかし、迷惑は相手がそれを迷惑だと感じて初めて迷惑として成り立つものであるということを忘れてはいけない。人間は他人との関わりなしには生きていけないものだということもだ。だからこそ他人との調和を図るために我々は無駄に他人を気遣って疲弊する能力ではなく、「相手とちゃんと交渉できる能力」が必要になってくるのだ。

氏が語るのはこのように世界をうまく綱渡りしていく方法論だけではない。なぜ日本ではこのような風潮が生まれたのか、他国では異なるものが存在しているのか。本書では文化や歴史といった根本から日本という「空気」を「世間」を明らかにしていく。
(教1)

斉藤洋 ルドルフとイッパイアッテナ

過去受講生の書評

『「教養」とは何か。』とても短いが、この問いに対する答えを明確に、自信を持って述べることが出来る者は少ないのではないだろうか。大学には「教養科目」というものが多く存在しているし、実際に一年次にはこの「教養科目」の履修が中心となる。他にも、「あの人は教養がある」だとか、「教養がないとこの先、社会に出たときに恥をかく」だとか、「教養」という言葉は耳にする機会があるし、意外と身近なものに感じられる。ただ、その内容を説明することが難しい。そんな、『「教養」とは何か。』といったことを考えるのが、この本だ。

本の内容は、意図せず、東京に来てしまった、無知な黒猫ルドルフが、地域一帯のボス猫のような存在であるイッパイアッテナと過ごすうちに、「教養」を身につけて成長していく話である。プロローグと、細かく分けられた26の話、そしてあとがきで編成されている。この本は、本屋では児童図書の棚に置かれている。そのため、文字は大きく、平仮名やふりがなが多用されている。また、アニメ映画化もされた。これらのことから、子供が読む本、というイメージがあるかもしれないが、そういったイメージは取り払って、ぜひ読んで欲しい。小学生が読めば、面白い本という感想で終わることもあるかもしれないが、少なくとも、小学生よりは学びを深め、そして年齢を重ねた大学生が読むと、ギクリとくるような言葉が出てくるだろう。

ここで、私にとってもっとも印象に残った、イッパイアッテナのセリフの一部を紹介したい。それは、『いつでも勉強できるなんて思っていると、けっきょく、勉強しなくなってしまうことが多い。いましかできないと思うと、むりをしても、そのときにやるんだけどな。いつでもできるって思っていると、やらなくなってしまうもんなんだ。』という言葉だ。この言葉は、大学1年になり、今までよりも、自発的な形での学習が求められるようになった私たちにとって、心に刺さるものがあるのではないか。この他にも、作中には多くの、大学生1年生の心に残るような言葉が出てくる。全体的に、簡単な文と言葉で構成されていることから、非常に手に取りやすくもあるが、多くの学ぶべきことが書かれている一冊となっている。
(教1)

過去受講生の書評

あなたは「教養とは何か」と聞かれて、答えることができるだろうか。私はある講義で先生にそう聞かれて、ドキッとした。教養という言葉は知っていた。しかしそれは何かと聞かれると説明ができなかったからだ。他にも何かと聞かれると答えられないものがあるかもしれない。そう思うと、自分の無知に恐ろしさを感じた。このことをきっかけに、まずは教養とはどのようなものかということについてちゃんと知りたい、知らなければならないと思い、私はこの本を手に取った。

この本は、ある日トラックで遠い町へ連れていかれてしまった飼い猫のルドルフが、そこで出会ったイッパイアッテナという野良猫と二人でのらねこ生活を送っていく物語である。イッパイアッテナはその町で怖がられている存在であったが、ルドルフには優しく、野良猫として生きていく術を教えていく。また、イッパイアッテナは教養のある猫で、初めは教養がわからなかったルドルフもイッパイアッテナの姿を見て学び、だんだんと教養を身につけていく。

この本を読んで率直に感じたのは、教養というのは、「こういうものだ」と言葉で教えて身につけさせるようなものではないということだ。この本の中でも、イッパイアッテナは教養とは何かについては言及していない。ルドルフはイッパイアッテナの姿を見て過ごしていくうちに、言いたいことや聞きたいことがあってもすぐに口に出さずに自分でよく考えるようにしたり、知らないことを自ら積極的に知ろうとしたりという努力を重ねて、教養のある猫へと近づいていった。教養は自分一人で身につくものではない。他者の存在があり、他者を思いやることで自分を見つめ直し、謙虚な努力の積み重ねにより身につくものだと思う。まだ大人になりきれていない大学生の私たちは、教養がわかっているようでよくわかっていない、身についているようで身についていない、そんな立場なのではないだろうか。私のように、教養とは何かと聞かれて答えられない大学生は少なくないと思う。まだ社会に出ていない私たちこそ、教養を身につけようと努力しなければならない立場であり、そうすることができる絶好のチャンスがあるのではないだろうか。教養というものを、なかなか言葉にできない部分まで感じることができる「ルドルフとイッパイアッテナ」を、大学生という立場の人に自信をもっておすすめしたい。
(人文1)

現象学の理念(原作フッサール) 須賀原 洋行  (著)

今年から参考図書に採用したので、受講生の書評はありません

野矢茂樹 哲学の謎

過去受講生の書評

紹介するのは哲学の謎という本です。この本は、普段当然のことだと片づけてしまうか、疑問にも思わないことを対話形式で問いている本です。哲学と聞くと難しいイメージを持ちやすいですが、対話形式で書いてあることでテンポよく読むことができ、使っている言葉も簡単なものなので、哲学についてよく知らない人でも読みやすいと思います。そのため、大学に入って、様々な学問や人を知り、自分の当たり前に疑問を持っている人、哲学に興味が出てきた人にこの本を読んでもらいたいです。

本の中の問題はすごく日常的で、共感しやすい問題が多いです。疑問に思っても、当然のこととして考えるのをやめてしまったことや、疑問にも思わなかったことを改めて考えるきっかけになったと思います。この本では明確な答えがしめされているわけではないし、筆者の考えにすべて納得できるわけではありません。明確な答えがなく、答えを出すことが難しいからこそ、自分で考え続けることの楽しさを実感できるのだと思います。また、自分の感じている世界のあいまいさや、不思議を感じることができ、今までとは違う、新しい目線で世界を見ることができると思います。

多くの人がこの本を読んで、自分で考えることの楽しさ、いつもとは違う新しい目線を感じてもらいたいと思います。また、多くの人の考えも聞いてみたいと思いました。
(医保1)

過去受講生の書評

目のある生き物が地球上に存在しなくなったとしても、太陽は赤いのか。考えれば考えるほど答えがわからなくなるような問である。

この本は、このような問について向き合っている本である。著者はこの問1つ1つに対し自問自答しながら考えを深めていく様子をそのまま綴っている。全9章からなっていて、各章では、意識や記憶と過去について、時の流れはあるのか、私的体験や経験とは何なのか、規範はどのように作られるのか、意味の在りかはどこか、行為と意志の関係とはどんなものか、人間は自由なのか、ということについて述べられている。始めは頭の中で混乱が生じるかもしれないが、読み進めていくと、自分が普段いかに偏った狭い視点で考えているか、実感させられる。

この本を読んでから、私の見る世界は少し変わった。例えば、過去と未来についての話を読むまで、私は今までそれら2つは決して交わらないものだと思っていた。しかし、「過去の可能性とは、実は未来の可能性にほかならない」という文を読んだ時には、今までの考え方を覆すような衝撃が走った。これは、今はまだ存在していた証拠がないものでも、過去に現実として存在していたかもしれないということである。この考え方に普段の生活の中で気づける人はどれほどいるだろうか。私は、これは今回この本を読んだからこそ得られた新たな視点の1つだと思った。

また、「われわれは『いま』から逃れられない」という考え方も新たに知ったものだった。これは、過去や未来について語るとき、それはすべて『いま』の目線になってしまうということである。私には過去のよくない結果を思い出して『いま』悔やんだり、未来が不安になって未来について『いま』考え込んだりする癖があったが、この本を読んでから、そういった過去や未来に対する執着が少し薄れはじめたと実感している。あまり過去や未来について考え込まず、『いま』に集中して生きていくという考え方をこの本から教えて貰えて良かったと思っている。

この本を読めば、自分の考えや自分が見ている世界に疑問を持ち、その世界について深く考えるようなきっかけを得られるかもしれない。
(医保1)

谷村康行 波の科学-音波・地震波・水面波・電磁波-

過去受講生の書評

私たちは多くの波に囲まれて生活していますが、波の多くは目には見えないので多くの人はそのことに気づいていません。本書ではどのようなものが波なのか、そして波としての性質について科学的に解説してくれます。テーマごとに五つの章に分かれており、波とは何か、音波、海の波、固体中の波、光や電磁波について解説されています。解説は簡潔で分かりやすく、理解に必要となる公式などはしっかりと説明があり、図が非常に多く使われており視覚的にもわかりやすいので、物理が得意ではなかった人でも理解しやすいのが特徴の一つです。さらに物理が得意だと思っている人でも間違って理解していたこと、授業ではあまり考えないような事について学ぶことができ、さらに波への関心が高められます。またこの本を読んで得られるものは波に関する基礎的な知識だけではありません。この本を読むことで自分の身の回りにいかに科学が関わっているのか、そして自分がそのことにいかに無関心であったのか気づかされます。身近な現象に関心を向ければ新たな知識を身に付けること、日々の何気ない生活をより楽しむことができます。であるので教養を身に付ける第一歩として、本書は是非多くの人に読んで欲しい一冊です。
(工1)

過去受講生の書評

「波」と言われて何を想像するだろうか。私はすぐに海の波を想像する。しかし、実は私たちの身の回りには多くの波が存在している。この事を知っているだろうか。例えば、当たり前のように感じている音や光、大学生になってよく使うようになったパソコン、そして日常的に使う携帯電話のような通信技術は電波という波を利用している。

海の波のように目に見える波、音や光・電波というような目に見えない波、このような波を科学の視点からどのようにして波として見るのかを明らかにする本となっている。また、この本にはイラストや画像が載っているため分かりやすく、そして読みやすくなっている。

この本は第1章から第5章までの構成となっている。第1章には、波の要素と性質について説明されている。ここでは、波とはそもそも何なのかを知り、理解する事が出来る。そして、第2章からは音波などそれぞれの波について説明されている。

第2章の音波の説明の中には、救急車のサイレンが代表とされるドップラー効果について書かれている。第3章は地球も金属も波になるという題名になっており、ピンとこないかもしれないが、地震を例として説明されている。このように、私たちの身近にあることや、知っていることを交えながら説明されているので、少し難しい内容や説明だと思っても、理解しやすいようになっている。

この本を読んで、波の世界に飛び込んみてはいかがだろうか。そして、自分の波の世界を広げてみてはいかがだろうか。
(農1)

コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて: 音響設計家・豊田泰久との対話

今年から参考図書に採用したので、受講生の書評はありません

日本音響学会 音のなんでも小辞典

過去受講生の書評

私たちにとって「音」とは何だろうかという問いかけから始まるこの著書。「音」とは身辺に満ち溢れており、自宅、学校、オフィス、街、自然の至る所で様々な音を感じることができる。その音とは何なのか、どのような仕組みなのを知り、皆さんに音の世界の扉を開いてもらうきっかけを与えている。

 日本音響学会で編纂されており、この団体では生物学、心理学、工学、医学など音をあらゆる面から研究し、音についてのスペシャリストである。

この著書の最大の強みは、「辞典方式」である点にある。つまり、一冊読みきらなくても自分が知りたい情報を得られる点にある。現代においては、インターネットはもちろん、本一冊に書かれている内容にも情報が多く、ほんとに知りたい情報を知ることができない。しかし、この著書では知りたい情報を単刀直入に説明してくれている。現代の情報に溢れた社会で、情報の厳選を行えるのがこの著書の利点である。しかし、音への興味を開く扉の意味を果たしていないようにも思える。なぜなら、辞典方式である以上、もともと音に興味を持っている者が飼うものであるからだ。はじ書きで、興味の扉を開くと言っている以上、その点に関しては不十分だと思う。

 この本ははっきり言って非常に読みやすく、頭に入ってくる内容であった。少しでも音に興味や疑問を感じているのならぜひ読んで欲しい一冊であった。
(経4)

過去受講生の書評

この本は、日本音響学会という音に関するあらゆる分野を扱っている学会によって書かれた本で、複数の方が執筆に関わっています。内容は、音の性質や心理、音楽など、音をあらゆる観点から分析し、解説するというものです。全部で80項目あり、それぞれが読み切り構成のため、自分の興味のある項目から読み始めることができます。また、それぞれの項目に関連する別の項目の番号も示されているので、とても読み進めやすいです。私がこの本を読んで面白いと思った項目は、音声科学からみた外国語上達法です。多くの日本人は日本語の性質上、英語のrとlの発音や聞き分けが難しいです。ここでは、複数の外国人の発音を聞き、それを数週間続けるという実験を行ったところ、聞き取りだけでなく発音の向上もみられ、それが数ヶ月も維持されるということが紹介されていました。また、英語と日本語のイントネーションやリズムの違いについても言及しています。英文を読むとき、発音が日本人で、リズムが外国人のものと、発音が外国人でリズムが日本人のものを聞き比べると、前者のほうが英語らしく聞こえるという結果が得られました。この項目を読み、私は自分の英語の勉強方法について見直すことができました。この他の項目も非常に興味深く、身近過ぎて疑問に思わなかったことから音の技術などの専門的なものまで解説されていて、とても読み応えがあります。私は、音に興味がある方だけでなく多くの人にぜひこの本をおすすめしたいと思います。
(工1)

近藤滋 波紋と螺旋とフィボナッチ

過去受講生の書評

生き物の中には不思議な形や模様をつくるものがたくさんいる。例えば異常巻きアンモナイトだ。アンモナイトはくるくると殻を平面的に巻いた殻の化石が見つかることがよく知られている。しかし、ここで取り上げる異常巻きアンモナイトは一見巻きのパターンが分からないほどぐちゃぐちゃな形をしている(知らない人は異常巻きアンモナイトで画像検索をしてみてほしい)。しかも突然変異個体などではなく、種として存在していた。どのように不思議な形をした異常巻きアンモナイトの殻は形作られたのだろうか。そして、絶滅した異常巻きアンモナイトの特徴を受け継いだような生物が実は現生で見つかっている。

形だけでなく模様が不思議な生物もいる。例えばしましま模様をしていることで知られているシマウマだ。ほかにも生物にはしましま模様を持つものがいる。あなたの指を見てみてみよう。指紋もしましま模様をしていることに気づくと思う。このような模様はどのように作られるのだろうか。実はシマウマも指紋も同じ法則ででき方が説明できてしまう。

あれ、生物の話ばかりでどこに本書のタイトルである「波紋」「螺旋」「フィボナッチ数列」のような物理や数学の話がでてくるのだろうか。大丈夫。ガッツリと、でも図などをたくさん使いながら分かりやすく「波紋」「螺旋」「フィボナッチ数列」について取り上げてある。予備知識の浅い私でも理解しながら楽しく読み進められたので、タイトルに「フィボナッチ」などと難しそうな言葉があるが身構える必要はない。

この本を読んだ後に外に出ると、あれは波紋かも、これは螺旋かもなどと考察が止まらなくなるだろう。そう、生物の多くは「波紋」や「螺旋」なのである。
(理2)

過去受講生の書評

皆さんはシマウマがなぜ縞々なのか知っていますか。カメの甲羅がどのようにして大きくなるのか知っていますか。この答えを知る人は少ないと思います。シマウマが縞々なのは当たり前であり、疑問にすら思いませんでした。しかし、これらの気になる疑問を解決してくれるのがこの「波紋と螺旋とフィボナッチ 数理の眼鏡でみえてくる生命の形の神秘」です。

この本ではいろいろな生物の生態の不思議を数理の知識を使って解決してくれます。数理と聞いて頭が痛くなる文系の皆さん、安心してください。この本はこちらに語り掛けてくるような文章で展開されているのでとても読み進めやすく、またイラストが豊富なので頭の中でイメージしより理解を深めることができます。専門用語は少なめで出てきたとしても注釈で説明してくれるので困ることはありません。話の途中には生命科学に関するコラムも含まれているので、科学に興味を持つきっかけにもなります。

この本は10章+4つのコラムで構成されています。その中で私が一番面白いと感じたものを紹介します。それは第3章と第4章の“シマウマよ、汝はなにゆえにシマシマなのだ?”という話です。この話はシマウマがなぜ縞々なのかという問いかけから始まり、そこからいろいろな縞々模様を持つ生物の話や縞々のできるメカニズムへと話が広がっていきます。その中の縞々のできるメカニズムがとても面白いと思いました。説明はとても分かりやすくイラストや写真も多いのでどんどん引き込まれていきます。またシマウマが縞々である理由を明かされるラストは衝撃的でした。

ここで説明した以外の話もとても面白く興味を惹かれるような内容ばかりです。文系、理系関係なく多くの方に楽しんでいただける内容ですので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
(工1)

坂本 真一, 蘆原 郁 「音響学」を学ぶ前に読む本

今年から参考図書に採用したので、受講生の書評はありません

野矢茂樹 無限論の教室

過去受講生の書評

ケーキがある。半分に切る。二つになる。そのうちの一つを食べて、残った一つをまた半分に切る。すると、また二つになってそのうちの一つを食べて残りを半分に切る。これを続けてゆけば無限に食べ続けられる。そんなことを考えたことがないだろうか。しかし実際には無限に食べ続けられることなどない。どうしてこのようなことが起こってしまうのだろうか。ある人があなたに矢を放った。矢はあなたと矢の中間地点を通った。さらにそことあなたとの中間地点を通った。これを繰り返せばあなたに届く前に必ず矢とあなたの中間地点を通る。そして、矢とあなたとの中間地点は無限に表れる。従って、あなたに矢が届くことはない……。誰が聞いてもそんなことはないと思うだろうがそれはなぜか。こうした命題を解くカギは無限の理解の仕方にある。量でも数でもない無限、という概念。その本質がまるで物語のように授業形式でわかりやすく説明されている。数学や哲学が分からなくても、なぜ、どうして、と少年のように繰り返しているだけであっという間に読み切れてしまう一冊。
(理2)

過去受講生の書評

あなたは無限に対してどのようなイメージを持っているだろうか。生徒が2人しかいない講義室である生徒は答えた。「一番大きい数のことでしょうか」すると先生は嬉しそうにこう言う。「それはですね、いちばん愚劣な答えです。」彼女はムッとした。読者の私もムッとしてしまった。数学が好きな人はもしかしたら先生が愚劣だと指摘することはごもっともだと思っているかも知れない。それでも話が進むごとに今までの無限に対する認識が変わる可能性は大いにあるだろう。タイトル通りこの本は『無限論の教室』の天井に読者が張り付いていて、2人の生徒と1人の先生が対話形式で進められてゆくのを見ている。これがとても効果的なのだ。我々が高校までで扱ってきた無限とは実無限のことであり、対する登場人物の先生は可能無限を支持する立場をとっている。そんな先生が無限に関する発問をして、生徒が答える。読者(少なくとも私)も既存の経験や知識から分かった気になってそれに同調する。すると先生が言う。「愚劣ですね。」ムッとする。先生がある程度抽象的なレベルで解説をする。この時点で数学好きな人は理解ができるかも知れない。私はチンプンカンプンだ。数学じゃなくて何か非現実的なうわごとを言っているみたいに聞こえる。すると登場人物の生徒も先生の言ったことを理解しようとして思考を展開する。これがとてもわかりやすく、高校までに習った知識で噛み砕いてくれるので数学が苦手な人でもはっきり理解することができるだろう。そして数学的な原理に反していないことが実感される。私は登場する生徒のさらに後ろからヨタヨタついて行くことしかできないが、親鳥が雛に「吐き戻し」をしてえさを与えるように情報が与えられるため、理解ができる。そして分かった気になっていると先生が発問をしてくる。この流れを繰り返して可能無限と実無限、それぞれの性質を理解することができる。数学好きな人はこれでは物足りないことであろう。ところがそんな人にとっても可能無限と実無限どちらが正しいのか決着をつけることは難しいだろう。どうして難しいかという謎も実体化してくれる。だから読者は考えることをやめられない。読了後には理解を繰り返したスッキリ感と謎が浮き出て置き去りにされるモヤモヤ感が残るだろう。「愚劣ですね。」先生がそう言ったときにはいつだって新しい視点があなたを待っている。無限論の思考の海に飛び込もう。
(教4)

トランスナショナルカレッジオブレックス フーリエの冒険

過去受講生の書評

この本は、数学の基礎であるゼロや分数、少数のことからフーリエ展開やFFT法などの専門的な知識まで教えてくれる本である。私はセンターで数学合計100点程度しか取れなかった、数学が苦手なThe文系だが、この本は文系には分からないような難しい数学の知識も身近な物に例えて教えてくれるのでとてもおもしろく読み進めることが出来た。また、学校の授業ではあまり掘り下げないような細かいところも解説があるので、ただ暗記していたような公式などもどのような成り立ち、意味があるのかを知ることが出来ると思った。私自身数学の公式はほぼ暗記で、この記号にどのような意味があり、なぜこの記号を式に入れるのかなどをあまり考えることがなかったので、この本を読んで自分が思っていた以上に数学の世界は広く深いと感じた。FFTがどのような考えからどういう計算をして、音声をスペクトルにしているのか、完璧に理解したと言える自信はないが、読む前に比べれば多少は知識が身についたように感じる。自分が苦手だからと言って遠ざけていた数学は私達が便利に生活するために必要なものだということをこの本を読んで改めて感じた。
(人文2)

過去受講生の書評

私は「フーリエの冒険」についてとりあげたいと思う。この「フーリエの冒険」という本は言語交流研究所 ヒッポファミリークラブという団体が作成したものであり、このクラブには赤ちゃんから大人まで幅広い年代が自由に参加できる団体である。この本は理工系には必須である数学、フーリエ級数展開から、微分、積分、複素数、FFT法までの物理学や工学の世界でよく使われるスペクトル解析をするための数学「フーリエ級数」を数学についてほぼ素人であるヒッポファミリークラブのメンバーが「自分たちのことばで理解した」ことを分かりやすく書き起こした本になっている。

 この本の特徴は様々な章で分けられている中で多くの例えや絵が用いられていることである。筆者はわかりやすくする工夫をよく凝らしていると感じた。実際工学部で数学を多く扱う私も導入部はすんなりと進み、内容が難しくなってきたところではゆっくりとだが理解することが出来た。私が思うにこの本は数学にあまりなじみのない人は各章の最初の例えが用いられている導入部分が終わった時点でページをめくる手が止まってしまうと思う。したがって数学を学ぶことに対しての意欲がない人にはおすすめできない本であると感じた。

 そしてこの本を読むうえで初期知識として物理の知識がないと読み進めるのが少し大変かもしれないとも感じた。例えば微分の章では速度を微分して加速度になるという物理の知識が紹介されているが、物理を習ったことがある人であればとても簡単なことで読まなくてもいいくらいの場所であるが、物理を習ったことがない人であると、この速度の微分が加速度であることやF=maなどの物理知識を一から覚えなければならないためとても大変だと思った。

 本書は理系学生にはぜひともお勧めしたい本ではあるが、文系学生には少し難しい内容であるかもしれない。しかし、文系であろうと数学に少しでも興味があるならぜひ例えが用いられた導入部分だけでも読んでもらえれば数学についての理解は深まるのではないであろうかと感じた。
(工2)

岩堀修明 図解・感覚器の進化―原始動物からヒトへ水中から陸上へ

過去受講生の書評

本書の著者は解剖学を専攻とする長崎国際大学健康管理学部教授の岩堀修明さんである。

本書を手に取り読む前まで私は、「高校生の時から生物学分野は苦手であったし、受験用の教科書のように専門用語ばかりで読みにくいのだろう」などと思っていた。しかし、実際に読んでみるとそのような堅苦しさは一切なかった。たしかに専門用語は出てくるが、それよりも感覚器が進化してゆく、順応してゆくことや、その進化した感覚器の新たな働きなどの方がメインで語られているため、活字が苦手な私でもスラスラと読むことができた。

本書の1番の魅力はこの本は図鑑であろうかと思えるほど感覚器の説明の際に丁寧に図が描いてあることであると思う。そのおかげで難しい説明もとてもわかりやすく、読者の中で落とし込みながら読み進めることができるだろう。

本書では視覚、味覚、嗅覚、平衡感覚、皮膚感覚などさまざまな感覚器とその進化について著者が長年の研究やその知識をもとに論じている。

身の回りにいる犬などから、聞いたこともない魚たちまでたくさんの種類の生物の感覚器が数億、数千万年かけて進化し、適応してゆく様をたった一冊の本で堪能できる。

私の中で一番印象に残った言葉として、「一度進化した感覚器はもう退化することができない」という言葉ある。この言葉は本書に何度も登場し、最初この言葉を見たとき、私は、それはとてもいいことではないかと思った。しかし本書の最終章を読み終えたあと、それがいかに残酷で、不便なことであるかを思い知らされた。

また、そもそもなぜ感覚器に進化が必要であったのか、その理由は生物によって千差万別である。

昆虫類、両生類、爬虫類、哺乳類などさまざまな生物の感覚器を調べることによりそのように進化した理由が魔法のように突き止められてゆく場面が本書に何度もあるのだが、そのたびにワクワクと心が踊った。
本書を読み終えた後、私は声を出したり、身の回りの音を聞いたりして、自分の感覚器とその進化を体感し、感謝をしていた。まるで、自分の手や目などひとつひとつに命があるような不思議な感覚になった。
生物的な話が好きな人も嫌いな人も関係なく楽しめ、この本を読んだことでまだまだこの分野について知りたい、勉強したいと思う人も多いだろう。

とにかく、一度手に取って読んで欲しい素晴らしい本であった。
(理2)

ダーウィン『種の起源』を漫画で読む

過去受講生の書評

マンガであるので読みやすいかと思いこの本を読んでみることにしたが、実際に手元に届いた本を開いた時、初めに感じたのは本書の形式による読みづらさであった。普通マンガは左から右にページを捲り、右上のコマから読み進めていくものであるが、この本はまるっきり真逆なのである。右から左にページを捲り、左上のコマから読み進めていく…。非常に違和感を感じながらではあるが我慢して読み進めていくことにした。

 この本はダーウィンの書いた「種の起源」をマンガにしたものであるが、どちらかというとわかりやすく要約した文章に挿絵をつけたといった方が適切だろう。この本を読むと地球上の生物がどのような過程を経て今の形で生きているのか、を学ぶことができる。過酷な環境下では偶然生まれた変異体の方が生き残ることができ、その遺伝子が受け継がれていくことで今の姿になっていったのである。

 ダーウィンの時代の学者たちは疑問が湧いた際に、好奇心を満たすために自らの手で実験をしたり、実際に観察をするために遠くまで出かけたりしていた。何かに疑問を持ち、観察をすることでその疑問を解決する。そして観察中に新たな疑問が出てくるのでまた観察をしに出かける…、というような無限に続く疑問と観察の連鎖によって新しい発見をしていたのである。しかし、今の我々はどうだろうか。常日頃からコンピュータやスマホを持ち歩き、わからないことがあればすぐにインターネットで調べて納得してしまう。これでは疑問と観察、解決の連鎖は起こらないのである。この本を読む中で、誰しもが子どもの頃にはダーウィンのように世界に対していろんな疑問を持って生きていたのに、大学生になった今となっては、好奇心・想像力共に子どもの頃に比べて退化してしまっていることを改めて感じられ、非常に残念な気持ちになった。そして、私たち大学生は知的好奇心のない大人にならないために何をしていくかを早急に考え、実践していく必要性があるだろう。

 そして、読み終えた時に私は一つのことに気づいた。あれだけ違和感を感じて読みづらいと思った本書だが途中から慣れてきて違和感が消え、スムーズに読むことができていたのである。これももしかしたら人間に進化の過程で備わった適応力が発揮されたのかもしれないと思い、少し誇らしい気持ちになった。

(医医1)

過去受講生の書評

「キリンの首はどうやって長くなったと思う?」こう聞かれた時、大学生のあなたならなんと答えるのだろう。「高い木に付いている葉を食べているうちに長くなった」と多くの人が答えるのではないだろうか。キリンの首の進化は世間で幅広く知られている今日であるが、実は世間で周知されているこの模範解答、半分正しくもあり半分間違っているのである。

この本ではこういった生物の進化について書かれている。大きく3部にわかれ、さらに細かく15の章に分かれて構成されている。高校生物でも習う性選択、自然選択…など様々な進化の過程が文章でなく、漫画で描かれている。よって高校時代、生物学が好きな人はもちろん、生物学が苦手だったという人も楽しく学べる構成となっている、生物嫌いからすると目から鱗の一冊である。

だが、この本で私が印象に残ったことは進化の過程だけではない。生物の進化の研究に生涯を捧げたダーウィンの言葉や学問への態度である。ある場面で彼はこう言った。「これを奇跡と思うのは変化の法則を理解しようとしない人だけです。」この言葉が私の心に深く突き刺さったのだ。大学生となった今、自分の学びたい分野を選択し学んでいるはずである。しかし、知らず知らずのうちに学ぶ意欲や目的など見失い、自ら考え真実を追求する態度が失われていないだろうか。この本ではダーウィンをはじめとする研究によって真実を突き止めようとする研究者たちがたくさん登場する。歴史に残る功績を残した彼らが研究に費やした途方もない労力を考えると背筋が伸びる思いになる。

この本は生物の進化という新しい知識だけでなく私たちがどのように自らの学問への向き合い方について考えさせられる一冊となっている。一冊読むと二つのいいことがある、まさに一石二鳥の本なのだ。「人生の夏休み」とも称される4年間の大学生活。この夏休みをどれほど有意義なものにできるかは自分にかかっている。人生の夏休みをより良いものにするためにも全ての学生に是非とも読んでもらいたい一冊だ。

(医保1)

杉浦彩子 驚異の小器官 耳の科学

過去受講生の書評

「驚異の小器官 耳の科学」というタイトルは大げさとも思われるかもしれないが、本書を読むと、いかに耳という器官が良くできているかを知るだろう。著者である「すぎはら・さいこ」は名古屋大学医学部、同大学大学院で聴覚を専門に臨床や研究に携わっており、本書では、様々な役立つ耳の機能や筆者独自の考察を、科学的な根拠に基づき、分かりやすく説明している。具体的な事例を出しながら話を広げているため、勉強が苦手なひとでも、興味が持てるような内容であるだろう。

本書はまず、耳の構造や音を感知する仕組みなど基本的な事項から説明している。しかしながら、学習というほど堅い内容ではなく、具体的にヘリウムガスを吸うと声が高くなる理由などを声帯や咽頭などの構造の観点からから説明している。さらに2章では、耳介の凸凹とした不思議な構造の意味などを説明している。私は普段、耳たぶや耳の形を意識したことはなく、その根拠にあっと思わされた。具体的な内容は私から説明するより、本書をみることが良いだろう。ヒトだけではなく、他の動物についてもその考えを広げている。例えば、メンフクロウなどはまるでパラボラアンテナのような顔の構造をしている。その構造により音を集音し、より音源を特定するのに役立てているのだ。さらにフクロウにおいて耳孔の高さが左右で異なっており、このことで音源を三次元で定位できるという。やはり、動物のよく出来た構造には驚かされる。

著者が本著を書くきっかけにもなったという耳掃除の話はこれまた驚くべき内容だった。実は耳掃除は医学的には必要ないというのである。耳には、皮膚が鼓膜から外側へ剥がれることなく移動していくマイグレーション、いわゆる自己清掃システムがあるらしい。大体3か月もすれば、鼓膜についていたものも外へ出てくる。さらに耳垢には抗菌作用があり、皮膚を守るという論文もある。

本書は聴覚のみに焦点を当てた内容であるが、その内容は奥が深く、全然書ききれないほどであった。本書はどんな人が読んでも、聴覚への興味をより一層高めてくれるに違いない。

古屋晋一 ピアニストの脳を科学する

過去受講生の書評

ピアニストはどうしてあんなに速く指が動くのだろう、どうしてあんなに速い曲なのに正確無比な演奏ができるのだろう、どうして心打たれる芸術的な演奏ができるのだろう、そういった疑問を脳と身体の観点から解明していこうというのが本書のテーマである。

 この本を読むことで、ピアニストの脳がいかに優れているかを知ることができる。プロのピアニストと初心者ピアニストの脳の違いが実験を通じて明らかになっていくので、とても分かりやすく、感動する。著者自身、ピアノを幼少期から弾いており、どうすればもっと上手く弾けるのかを絶えず考えていたという。そして、ピアノを弾く身体の働きに興味を持ち、現在までピアノ演奏における脳と身体の働きについて研究を続けている。

 私がこの本の中で特にワクワクしたポイントは、「ピアニストの脳はミスを予知する」という内容である。これだけ聞くと「そんなファンタジーのような、魔法のようなことできるのか?」と疑いの眼差しを向けるかもしれない。私もそう思った。しかし、脳波計の実験から得られたデータなどから、この謎が明らかになっていく。インパクトあるサブタイトルで興味を惹かれ、それが徐々に明らかになっていくので、飽きることなく読み進めることができた。上記の内容に限らず、ピアニストの脳はものすごい働きをしていることが分かり、感動の連続であった。後半では、脳の話だけでなく、腕や指の筋肉の動きなど解剖学的な話も多かった。もちろん、100%全てが解明されているわけではない。脳と音楽の関係は、まだまだ謎に包まれた部分が多く、これからさらに研究が進められていくのであろう。

 ピアノ演奏と脳と身体の関係についてここまでピンポイントでフォーカスした本は他にはないのではないだろうか。脳科学とか解剖学とか聞くと難しいと感じるかもしれないが、この本は噛み砕いて分かりやすく書かれていて読みやすい。また、音楽に精通していない人であっても十分楽しめるし、知見が広がるため、読んで損はないだろう。

過去受講生の書評

ピアニストはなぜあんなにも早く、正確に音を奏でることができるのだろうか。なぜ数時間に及ぶコンサートで疲れることなく弾き続けることができるのだろうか。そもそもプロとアマチュアのピアニストでは何が違うのだろうか。そう思ったことはないだろうか。この本ではそういったピアニストに対する疑問を、脳の活動といった新しい観点からのアプローチで解き明かしていく話である。

作者である古屋氏自身も幼いころからピアノを習い、コンクールで入賞するほどの腕前を持つピアニストであったが、大学時代に手を痛めてしまう。やがて、自分と同じように、音楽をやりたくても体の不調が原因で音楽ができない人たちがいることに気づき、彼らの願う通りの音楽を実現できる手助けをしたいと考えた。そこから古屋氏は、ピアニストの脳と身体はどうなっているのだろうという疑問を、工学、医学の観点から研究を行った。この本には、これまで書かれることのなかった、データに基づいたピアニストの動きや身体についてわかりやすく書かれている。

例えば、「目にもとまらぬ速さで引くピアニストの指はどうなっているのだろうか」という疑問に対して「それは指の筋肉が人並外れているからだ。」と思っている人が多いと思う。しかし実はその原因は「脳」にある。意外ではないだろうか。ほかにも、脳はミスタッチをする際ミスを事前に予知し無意識に修正しようとすること、長時間演奏しても疲れないピアニストの省エネ術、脳波や心電図などの科学的根拠をもとに感情をこめて演奏するとはどういうことなのか、といった「え!?そうなんだ!」と思える実に興味深い内容ばかりが詰まっている。

私自身も幼少期からピアノを習っていたため、ピアノを弾く上での悩みで共感できる部分が多く、また感覚で弾いていたピアノの弾き方に対して、科学的な根拠を具体的に提示されることで新しく知り、学べた部分が数多くあった。説明もとても丁寧でわかりやすいため、音楽の知識が乏しい人にも読みやすく、納得できる内容であったと思う。大学生という時間に余裕がある今だからこそ本を読み新しい知識を得るチャンスである。でも哲学的な小難しい話は読む気になれないといった人に是非お勧めしたい一冊である。久しぶりに面白い、もっと深く知りたい、もっと読んでいたいと、心からそう思える一冊であった。
(理2)

佐野洋子・加藤正弘 脳が言葉を取り戻すとき

過去受講生の書評

 突然、言葉を理解することができなくなるときを想像したことがあるだろうか。自分で話せない・書けない・言われていることを理解できない、すなわち意思疎通ができないのだ。何らかの病気、事故等で言語野を含む脳の一部が損傷されることで失語症が発症してしまう。ここで、失語症とは脳に保存されている言葉が失われるのではなく、言葉の選別・選択ができないことを指す。

 この本は失語症のリハビリに携わった2人の著者が実際の患者のカルテを用いながら、①失語症が起こるメカニズム・②発症からの回復・③社会復帰に向けてという3部構成で書かれている。実際の症状や辛さ、苦悩、話せるようになった時の喜びなどがリアルに描かれており、失語症についての理解の重要性を突きつけられる。失語症になった際の脳内の変化については①で図付きで詳細に記されているので読んでいただきたい。果たして脳が言葉を取り戻すことができるのか疑問であったが、言葉を取り戻し社会復帰を果たした人も多くいるそうだ。しかしそれまでの道のりは長く険しい。リハビリの内容も手探りで決めていかなければならず、何より本人の精神状態が極限に追い込まれる。本人やその家族の苦悩が痛いほど伝わってくる。それと同時に言葉がコミュニケーションのツールとしていかに大きな役割を担っていたのかが良くわかる。

 「〇〇症」というとどうしても暗いイメージを持ってしまい、その人と距離をとってしまう傾向がある。その障がいを理解することで双方とも生きやすい社会になるのではないか。失語症は誰にでもなる可能性がある。この本の③には失語症患者の社会復帰の例が多数挙げられている。この本を読むことで、もし家族や知人が失語症になったとしてもどん底に落ちたような気持ちになりにくく、正しく向き合えていけると考える。
(工1)

過去受講生の書評

私たちは自分の考えや思いを表現するときや、人とコミュニケーションを取るときに言葉を用いる。本を読んだり、新しいことを学んだり、文化や伝統を継承するときにもまた言葉が用いられてきた。この言葉を司る機能は脳に存在しているのだが、その脳が損傷を負うことで失語症を発症する。

失語症と聞くと、言葉が話せなくなるといったイメージを持つ人が多いだろうが、症状はそれだけではない。「聞く」「話す」「読む」「書く」という言語の基本的な四つの側面すべてに症状が現れるのである。本書の中では、失語症状の現れ方とその障害の仕組みを四つの側面に分けて著者の視点から捉え直されて、説明がなされている。さらに、どのようなメカニズムで、どのような経過をたどって言葉を再び取り戻していくのか、実際の患者さんたちの暮らしやリハビリの様子などの実話も交えながら説明されている。

失語症における言語機能の障害は、意識障害や痴呆などの一般的精神障害のために他者とのコミュニケーションに困難をきたしている状態とは異なっている。そのため、患者本人の思考や心理は健常な人と何ら変わりはない。考えていることや思っていることを自由に言葉として表せない患者さんは、どのような苦しみや悲しみの中で病気と向き合っているのか、さらにその家族や周りの人々がどのような気持ちで患者さんと向き合っているのかも本書から知ることができる。

それだけではなく、言葉を再び取り戻した失語症者がその後どのように社会と再びかかわりを持っていくのか、様々な患者さんの例が記されている。

医療の道を志す人はもちろん、そうではない人も、人間にとって言葉の持つ意味合い、言葉を失うことや再び取り戻すこととはどのようなことなのかを是非考えて読んでほしい一冊である。
(理2)

下條信輔 サブリミナル・マインド

過去受講生の書評

「サブリミナル」は「識閾下の」つまり見える限界よりも下という意味であり、タイトルの「サブリミナル・マインド」とは意識下における心の働きを表している。「自分のことは自分が一番よく知っている」というのは暗黙の了解と言えるまでに多くの人がなんとなくでも思っていることであるが、この本はそんな概念に疑問を投げかける一冊である。この本の読者への重要なメッセージは「人の心が顕在的・明証的・自覚的・意識的な過程だけではなく、潜在的・暗黙的・無自覚的・無意識的な過程にも強く依存している」ということ、「暗黙知と明証的な知は互いに密接に作用しあっていて、それが人間の心のはたらきを人間独自のものにしている」ということである。心理学を専攻していなければほとんど理解できないように思えるが、読んでみると想像よりもわかりやすい。この本の中では様々な心理学の用語が登場し、日常生活ではあまり耳にすることのないものが多いが、その1つひとつを具体的な実験例を用いて具体的な実験例を用いて解説した上で、そこからわかることや結果やデータが何を表すのかという説明、そして筆者の主張へと続いていく。少し難解なものは複数の例を示したり、テーマを変えて別のアプローチをした例と合わせて提示したりするなど、読み手が曖昧な理解のまま進むことがないよう丁寧に書かれているので筆者の考えから置いていかれることは心理学の知識がほぼ皆無な私が読んでもなかった。しかし逆に言えば本題ではない、あくまで「意見の主張の補助」となる部分をここまで丁寧に説明する必要があるほど深く掘り下げた内容であるということである。心理学に興味がなかったり、自分自身のことは自分がよくわかっているという固い信念があったりするとなかなか読み進めるのは苦しいかと思う。しかしながら自分のとった行動の「本当の意味」は何なのか、自分の認知していることは「正しい」ことなのか、知ると知らないでは物事の捉え方は大きく変わるように思えるし若い今だからこそ考えておきたいことではないか。この本はそのヒントを十分に与えてくれ、読者の潜在的な「暗黙の了解」を確実に壊すだろう。
(理2)

過去受講生の書評

この本で一貫して著者が主張している事は、「人は自分で考えているほど、自分の心の動きを分かっていない」ということである。自分の意思でしたと思っている選択は、実は誰かに刷り込まれたものなのかもしれない。ゲームの攻略サイトなんかを見ていると、商品やゲームの広告が下の方にチラッと出てくる。こんな事に金を使っても買う人なんかいないだろう、と馬鹿にしていたが、著者によるといざ同じような商品が沢山並んでいる棚の前にたつと、いつかサイトの端で見た広告の品を、それに影響されていると知らず、自分で選んだと思い込みながら手に取ってしまうらしい。この本では操作される側の目線から書いているから怖くなるが、これを操作する側として、ビジネスの方法として考えると面白い。「これ商品売るつもりないでしょ」と思うようなふざけたCMも、実は視聴者に商品を印象づける役割を持っているのだろう。大学を卒業すれば会社に就職する人が一定数いるが、昨今ブラック企業が問題になっている。ブラック企業を辞められない理由に、やりがいがあるからと答える人がいたが、それに関連して、認知的不協和という話が特に面白かった。「個人の心の中に互いに矛盾するようなふたつの「認知」があるとき、認知的不協和とよばれる不快な緊張状態が起こる。そこで当然、それを解消または低減しようとする動機づけが生じる。しかし多くの場合、外的な要因による「認知」の方は変えようが無いので、結果として内的な「認知」のほうが変わる。つまり態度の変容が起こる(具体的には、たとえばものや作業に対する好嫌の感情が変化する)。」ブラック企業のやりがい搾取は、嫌な仕事で安月給、という2つの不快な緊張による葛藤から、無意識に仕事に対する態度を変容させ、やりがいがあるからいいんだ、と自分を正当化させているのではないかなと思った。難しい話もあるが、大学の講義の様な形態で進められ、このように日常生活に関する無意識の話から、大きな問題にまで議論が繋がっていくのを読んでいくのが面白かった。情報が大量に流れていく今の時代、自分がどれだけ情報に無意識のうちに影響されているのか意識することが出来ると思う。
(農1)

佐藤 雅彦/菅 俊一【原作】/高橋 秀明【画】 行動経済学まんが ヘンテコノミクス

過去受講生の書評

  今までの経済学は、「人間は必ず合理的な経済行動をするもの」という前提で語られてきたが、実際に普段の私たちはそれでは説明できない非合理なふるまいをしてしまっている。この本はなぜそのような行動をしてしまうのかを漫画を介してわかりやすく書かれている。

 初めに報酬が動機を阻害してしまうアンダーマイニング効果について書かれている。ある老人が、何度注意しても家の壁に落書きをする子供たちに悩まされていたが、いたずらをするたびに逆にお小遣いをあげはじめ、ある日突然あげるのをやめてしまったら子供たちが落書きをするのをやめてという話がでてくる。これは、初めは楽しいから落書きをしていた子供たちが、お小遣いをもらううちに落書きをする目的がお小遣いをもらうことの変わってしまったことによって起きたことである。このように人間は自分が好きでしていた行動(内発的動機)に報酬(外発的動機)を与えることによってやる気をなくしてしまうのだという。あの大リーグで活躍したイチローが国民栄誉賞を二度も辞退したのは報酬が動機を阻害することを知っていたからなのではないかと考えられる。

 また、ゴールに近づくほど人間はやる気を起こすという「目標勾配仮設」についてであるが、例えばカフェで「コーヒーを10杯飲むと1杯無料」というカードを配布したところ10杯目に近づけば近づくほどコーヒーを飲む頻度が上がった。これは「10杯飲めば1杯無料」という目標が設定されたことで目標が近づくにつれて目標に対する価値が上がったというものである。これは実際にビジネスで多く応用されている。

 これらの二つの例のほかにも極端回避性やハロー効果など様々なものがあげられているが、共通して言えることは少し物事を工夫するだけで簡単に見方や考え方、意識、価値などが変わってしまうというところである。よく考えてみれば当たり前のことなのに、普段の生活ではそれに全く気が付かず非合理的な行動をとってしまう人が大半なのではないだろうか。この本を読みその非合理的な行動を認識し、うまく物事を利用したり物事の本質を見極めたりしていくことで、社会に出たときに自分の財産に繋がっていくのではないかと考えた。
(理2)

過去受講生の書評

 「人はなぜそれを買うのか。安いから、質がいいから。そんなまっとう理由だけで、人は行動しない。そこには、より人間的で、深い原理が横たわっている」。そんな人間の非合理な行動をする日常を漫画形式で描き、その原理である行動経済学について説明されている。

 本の中では、人間が非合理なふるまいをする例が23個ほど挙げられている。言われてみれば確かにというように、過去に同じような経験をしたことがあるなと共感したことが多くあった。そういった行動経済学の法則を知り、意識することでより合理的な行動ができるのではないかと思う。 行動経済学と言われると難しそうなイメージがあるかもしれない。しかし、 本書は漫画形式で描かれているので、 私のような行動経済学について知らない人でも取っつきやすく、とても読みやすい一冊となっている。 そのため、行動経済学を知らない人にも興味を持つきっかけとしてぜひおすすめできる本だろう。

 また、幅広い知識を身に着けることが必要である学生にもおすすめできる。本書は、非常に分かりやすく簡単にまとめられているためとても興味を持ちやすいと思う。この本から心理学や行動経済学といったものに興味を持ち、様々な分野へと視野を広げていくという点で、それらの分野の入門書としてとても意味のある本だと思う。
(工2)

V. S. ラマチャンドラン 脳の中の幽霊

過去受講生の書評

 私が本書を参考図書の一つとして選んだのは、タイトルとあらすじに大きな興味を抱いたからである。脳の中に幽霊がいるというのは、なんとも気になるタイトルである。大学近くの本屋には一冊も在庫がなく、Amazonを利用した。届いた時の私の感情は「後悔」の念が大きかった。何しろこの本は最近読んだ中でも一等分厚く、文字もびっしり刻まれていたからである。けれども、本を読み進めていくうちにそのような思いは消え去っていった。本書のあちこちにはジョークや体験できる錯覚の画像などがあり、飽きずに読み進めることができる。この本は私と同じような学生にも胸を張ってお勧めできる一冊であることは間違いない。

 著者はV・S・ラマチャンドランで、彼はカリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授、所長、同大学心理学部神経科学教授で、視覚や幻肢の研究で知られている。本書は記者、サンドラ・ブレイクスリーの書いた序章、筆者の導入のほか全12章で構成されており、それぞれの章に大変興味を惹かれるユーモラスなタイトルがつけられている。1章では脳そのものについて分かりやすい例を用いて疑問を提示している。2・3章では、幻肢と脳の関係について実際に行った実験や図を用いた考察を述べている。4・5・6章では、幻覚と脳の関係について私たちが体感できる図や、患者の例を提示して考察を述べている。7・8・9章では、認識と脳の関係について患者や哲学などを例に持ち出し論じている。10・11章では、行動と脳の関係について不可解な例を持ち出し説明している。12章では、研究をする上で越えられない壁である、主観的感覚(クオリア)についての説明がされている。

 本書の良い点は、先述した通り非常にユーモラスで読みやすく、脳について知ることができることである。特に第11章の「双子の一人がおなかに残っていました」というタイトルはそれだけで興味をそそられるに違いない。説明も図や例が多く出されることで分かりやすいものとなっている。

 よくない点は、本書が専門書ではないこともその理由だろうが、結局のところ何か結論が出たりするものではないことだ。著者とともに思考したり、脳の不思議を楽しんだりするタイプの人でなければ本書を楽しめないかもしれない。

 一番人間の身近にありながら、一番理解の及ばない存在、それが脳と言えるのではないだろうか。今後の研究の発展が気になる一冊であった。

川原繁人 音とことばの不思議な世界

過去受講生の書評

 この本は音と言語についてかなり身近な例を挙げて説明していることで、高校生でもとっつきやすく、読みやすい内容に仕上がっている。日常生活を送るうえで深くは考えたことのない、しかし身近に確かに存在している「音」について考える入門書という印象を受けた。字も大きく、節がかなり細かく分けられているので1日あれば読み切ることができる。読み手が思わず「あいうえお」と声に出して自分で確かめるように促す部分もあり、目だけではなく口も使って体験できるのが魅力に感じた。

 また、性別によって変わる印象のよい名前の付け方、外国語を習得させるには何歳から始めないとなのかなど、自分がもし子供を持った時のことを考えて思わずのめり込んでしまった。特に面白いと感じたのは「テレビでは赤ちゃんは言語を学ばない」ということだ。赤ちゃんは実際のコミュニケーションの場でしか言語を学ばないというのだ。叔母が4年ほど前に、一歳になる息子に英語を覚えさせようと英語のアニメを見させていたのを思い出した。その時にもしもこの本と出会えていたら叔母にそのことを教えてあげられたのになあ、と身近な出来事に置き換えることのできる、為になる一冊だと感じた。

 言語を成り立たせている成分について終始「そうだったんだ!」と学ぶ楽しさを実感させてくれるようだった。言語や音に関心がある人でもそうでない人でも、全ての人におすすめできる一冊である。
(理2)

柳田益造(編) 楽器の科学

過去受講生の書評

あなたはトライアングルの音を聴いたことがありますか。おそらく小学校の頃の学芸会やテレビ番組のBGMなどで「チーン」という音を聞き、適当に叩けば簡単に音が出るというイメージがあるのではないかと思います。しかし、本当にトライアングルは音を出すのが簡単な楽器なのでしょうか。確かにビーター(棒)でトライアングルを叩けば音が出ます。しかし、プロの打楽器奏者と初めてトライアングルを叩く人の音を比べたら全く違います。なぜならプロは叩く場所、叩き方などを研究して演奏しているからです。この叩く場所や叩き方による音色の違いは振動モードを調べることで明らかになっていることが、この本を読むことで分かります。この本ではトライアングルのことだけでなく、例えば、どうしてピアノは鍵盤を押すだけで音が出るのか、どうしてフルートは金属でできているのに金管楽器ではなく木管楽器なのかなどを、音響的に見たり、歴史的に見たりして解明・発展させていきます。このようにこの本を読むことで自分の音楽の世界をどんどん開いていくことができます。私は音楽科に所属しているためクラシック音楽を聴く機会が沢山ありますが、最近の若者にはクラシック離れという現象が顕著に現れていると思います。その原因は様々あると思いますが、その一つにクラシック音楽が身近でなくなってしまったため、クラシックというものが敷居の高いものとして見られていることがあると思います。これを払拭するためには何かきっかけが必要であり、そのきっかけにこの本はとても良いと思います。また、音楽を専門に勉強している人もオーケストラなどの音楽の聴き方がまた変わってくると思います。私は特にクラシック音楽に抵抗がある人たちやあまり聞こうと思ったことのない人に読んで欲しいです。この本を読んで音楽の素晴らしさを感じてもらい、音楽を生活のプラスアルファとして持ち、今までよりさらに充実した生活を送っていければ良いと思います。
(教1)

過去受講生の書評

 楽器についてもっと知りたい!本書はそんな人に向けて書かれた「楽器の説明書」である。柳田益造をはじめとした様々な分野で活躍する9名の著者によって書かれたこの本は、管楽器、弦楽器、打楽器、そして電子楽器など、様々な種類の楽器についての細かな解説が展開されている。ただ音楽をしているだけでは知り得ない知識がふんだんに詰まった一冊だ。

 本書の良いところは、楽器を実際に演奏したことがない人でも読めるという点だ。例えばヴァイオリン。私たちが普段生活をしていてヴァイオリンに触れる機会があるだろうか?ヴァイオリンはピアノとは違って、習ってでもいなければそう手にすることもない楽器だろう。そんなヴァイオリンについて、本書ではパーツの名前から音の出し方、さらには歴史や作り方まで紹介されている。実際には持ったこともないのに、ちょっと人より詳しくなれる。そして楽器について詳しくなれば音楽が今まで以上に楽しくなる。それが本書の魅力といえる。

 一方注意したい点は、やや難しい単語が使われているということだ。音楽についての知識が無くても読める、という前置きがあるにも関わらず、やはりがっつり音楽の用語ばかりだったり物理の方面で難しい表現がされているページもある。けれど柱脚もあるので、難しさを乗り越えながら読むとそれ以上の収穫はある。

 以上が本書の書評である。いろんな楽器について知りたい、楽器の雑学を増やしたい、楽器から音が出る仕組みを知りたい、という方にお勧めの一冊だ。音楽知識や音楽経験のない人でも読める内容が大半である。興味があったらぜひ手に取ってみて損はない。
(経3)

宮崎謙一 絶対音感神話: 科学で解き明かすほんとうの姿

過去受講生の書評

私が宮崎謙一さんの著書、「絶対音感神話」を読んだきっかけは、この講義での特別講義がきかっけだ。特別講義を聞き、絶対音感についてより詳しく知りたいと思い本書を読んだ。

本書では、絶対音感に関して様々な視点から書かれている。特に、絶対音感が特別で素晴らしい能力と捉えられていることに対して、科学的根拠を用いて、批判している。絶対音感はほかの音と比較をすることなく(相対と反対の意味での絶対的に)、鳴らされた音の音高名を言うことができる能力である。絶対音感は、2,3歳から6,7歳に訓練をすることで身につくとされるため、この時期の音楽教育に対する態度が異なる国や地域間で、絶対音感を持つ人の割合に大きな差があり、中国・韓国・日本などで高く、アメリカやポーランドの西欧諸国では低い傾向にある。このような絶対音感は音楽的に価値があるかというとそうとは言い切れない。なぜならば、絶対音感は音を捉える能力であるが、音楽は音程、メロディー、調性といった要素からなり、それらを認知する相対音感のほうが音楽的価値があり、絶対音感を持つ人は、そうでない人より相対音感の能力の低いという実験結果が出ているからである。

私は本書を大学生に強く薦めたい。絶対音感に関することを学べることはもちろんのこと、著者が絶対音感に対して一般に考えられていることに関して、科学的に解明しようとしていることがうかがえる。今まで多くの研究者が引用していた論文の欠点を指摘したり、科学的データに基づいて自身の考えを展開したりしていることは、大学で研究をするにあたり、大切なことであると考える。
(医1)

過去受講生の書評

 今日の日本では絶対音感と音楽の関係のついての話題が多々メディアに登場し、さらに音楽家になりたい人に向けた絶対音感をつけることができると謳う教材や音楽教室も数多く存在する。 しかし、本当に絶対音感は音楽に対して素晴らしい能力なのだろうか?絶対音感の概念や音楽的意義は何なのか?本書ではこれらの疑問の答えが書かれています。

 著者は大学教授で認知心理学、聴覚心理学、音楽心理学を専門としている。訳書に『音楽の心理学(上・下)』(西村書房)、『ロールシャッハ・テストはまちがっている!』(北大路書房)などがある。彼は絶対音感の研究を始めて間もない頃から絶対音感の音楽的意義について懐疑的な意見を持っていた。

 本書は著者がこれまでに行ってきた絶対音感研究で取得したデータをもとに書かれており、絶対音感の概念や音楽との関連性について8章に分けて記している。まさに確かな証拠をもつ絶対音感の真実を述べている本である。ここで言う神話は、十分な証拠がないにもかかわらず主張されている、あるいは広く受けられている考え方という意味である。

 本書を読む際キーワードとなる言葉は相対音感だ。相対音感とは基準となる音との相対的な音程によって音の高さを識別する能力である。日常生活ではあまり聞き覚えのない言葉だ。しかし音楽を語る際には重要になってくる能力である。

 私にとって本書の内容は衝撃的なもので最初は受け入れ難かった。本書で示されている絶対音感の真実を全国の小中学生の音楽の授業で取り入れると音楽への理解度がぐんと上がり、音楽との向き合い方が変わってくるだろう。それくらい衝撃の事実である。しかしこの事実を受けいれなくては才能を秘めている人の音楽家としての成功の道を閉ざしてしまう。

 将来音楽の道に進みたい人、それだけでなく日本に住むすべての人にぜひ私が受けたような衝撃を味わってほしい。
(工1)

コンピュータ、どうやってつくったんですか?:はじめて学ぶ、コンピュータの歴史としくみ 

過去受講生の書評

あなたは「コンピューターの仕組みをどれだけ知っているか?」と聞かれて、どの程度答えることだろうか。きっと多くの人は「二進数で0と1の組み合わせで計算をしている」とか「複雑な回路と電気信号で動いている」とか「CPUで計算とかを処理している」などといった断片的で浅い回答しかできないのではないだろうか。それは決して悪いことではないと思う。しかし一度その情報を整理しておおまかでも良いから我々が普段何気なく使っているコンピューターの仕組みについて知ってみたいとは思わないだろうか。

この本ではコンピューターが存在しない世界に生きている妖精がどうして妖精の世界にコンピューターが存在しないのか、コンピューターはどのような仕組みで作られるかを知るべく人間に教えを請い、それに人間が答えて妖精と我々読者にコンピューターの仕組みを教えていくという本である。私も今までコンピューターの仕組みを断片的にしか知らなかったがこの本を読むことで、コンピューターが使用している数字の成り立ちに始まり、二進数による情報の表現、電気回路による計算、コンピューターへの命令の処理の手順、そしてコンピューターの誕生と順を追って学ぶことができた。それによって断片的に持っていた知識が新たな知識と結合してより深い理解をすることができる。

私はこの本のおかげでコンピューターの仕組みを知ることだけではなく、知識の点と点が繋がりより大きな理解となること、言い換えると学ぶことの楽しさや喜びそのものを学ぶことができた。大学生となった今より深く物事を学ぶとはどのようなことだろうかと考える人にとてもおすすめしたい本である。

(経2)

絶対音感を科学する

過去受講生の書評

 現在、多くのテレビ番組やwebサイトで「絶対音感」という言葉を耳にし、そのほとんどが絶対音感習得者の優位性を語っているだろう。しかし、それらには多くの間違いや曖昧な理解が含まれており、「絶対音感習得者は瞬時に音の高さを答えられる」という事実だけが独り歩きしてしまっている。

 著者は大学教授で認知心理学、聴覚心理学、音楽心理学を専門としている。訳書に『音楽の心理学(上・下)』(西村書房)、『ロールシャッハ・テストはまちがっている!』(北大路書房)などがある。彼は絶対音感の研究を始めて間もない頃から絶対音感の音楽的意義について懐疑的な意見を持っていた。

 本書では、絶対音感研究において世界的に活躍されている宮崎謙一先生を始めとした、多くの心理系科学者と音楽家が独自の視点から絶対音感について科学的に解説されている。大きく三部構成に分かれており、まず絶対音感を獲得するとはどういうことかから始まり、次に第一部を踏まえて絶対音感が本当に音楽的価値あるものなのか解説し、最後に脳科学の視点から絶対音感について触れられている。本書を読むことで、絶対音感の本質について科学的に理解することができ、絶対音感の印象が大きく変わるだろう。

 本書を読み進めるにあたって、絶対音感の他に相対音感の理解が重要だ。絶対音感は、「他の音と比較することなしに、音の高さがわかる能力」と定義でき、相対音感は反対に「他の音との関係の中で、その音がどの位置にあるか把握する能力」とできる。つまり絶対音感では、1オクターブの中にある12の音高カテゴリーが持つ性質を個々に認知し言語化しているのだ。しかし、音楽はどうだろうか。音楽には調などがあるように、他の音との関わりの中でいくつもの音をまとまりとして捉えている。それなのに、絶対音感は本当に音楽活動において欠かせないものなのだろうか。むしろ、相対音感を使って音楽を感じているのではないだろうか。

 私は高校生の時、音楽をより楽しみたいと思い「絶対音感 身に付け方」など本気で調べていたことがある。しかし、この本を読んだ今は当時の自分がどれほど安直な考えをしていたのか痛いほどわかる。以前の私と同じように、一般的には得られない絶対音感を偉大だとする素朴な考えを持っている人には当然のこと、絶対音感を尊敬してしまう社会風潮がある日本に住んでいる人全員にこの本を読んでほしい。webサイトやSNSなどでは語られない絶対音感の本質に触れ、必ず絶対音感に対するイメージが変わるだろう。(工1)

菊地成孔・大谷能生 憂鬱と官能を教えた学校 ー 【バークリー・メソット】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 上

過去受講生の書評

本書はミュージシャン、文筆家、ラジオパーソナリティー等として有名な菊地成孔と、ミュージシャン、批評家として活動する大谷能生の共著。 2002年に映画美学校において、両名にて開講された「音楽美学講座・商業音楽理論史」という講義を書籍化したもの。「バークリーメソッドによって20世紀商業音楽史を俯瞰する」ことをテーマに、上巻には、バッハの平均律確立までの音楽史や音楽の物理的構造にはじまり、機能和声やコード進行などのポピュラー音楽理論の基礎が収録されている。 メインタイトルからはやや難しい印象を受けるが、実際の講義をもとに構成されており、文章は話し言葉で書かれていて読みやすい。講義中に使われた参考音源も多数紹介されているので、youtubeなどを開いて音源を聴きながら読み進めるといいだろう。また、講義は実際に鍵盤を使って音を出しながら行われているため、キーボードを使って、自分で音を確認しながらでないと内容についていけない。スマートフォンのピアノアプリでも代用はできるが、四和音を弾いたりコード進行を確認したりするためには、実際のキーボードを用意することが望ましい。 実学の話になると、文章の羅列と挿入された鍵盤の図によって説明されているため、楽器経験のない初学者には分かりづらいところもあるかもしれない。しかし、バンドスコアでタブ譜しか見てこなかったようなロックキッズでも、本書をしっかり読んで、調(キー)や機能和声について理解できれば、いわゆる耳コピにも役立つし、パズルゲーム的にコード進行を組み立てて作曲することもできるようになり、以降の音楽活動に大いに役立つはずである。
(経2)

小方厚 音律と音階の科学

過去受講生の書評

ドレミファソラシドがどのようにして生まれたか、考えたことはあるだろうか。ドから1オクターブ上のドまで、無限の区切り方があるにもかかわらず、西洋音楽では12個に区切られた音階を用いている。そして、このドレミ・・・の音階は、今や世界中の現代音楽で用いられている。どのように音階が決められたのか。そしてどのようにして世界で受け入れられるようになったのか。

本書は、それを科学的に説明した一冊である。著者はレーザーやプラズマを扱う物理学を専門としており、正式に音楽を学んでいるわけではない。だからこそ、私たちのような「音楽に興味があるけど音楽を専攻していない」人に近い視点から書かれている。

本書では、音律・音階について、具体的な周波数値を用いて説明してあり、数学的・物理的に書かれている。例えば、私は吹奏楽をやっていたが、なぜ純正律を使うのか、そして、チューニングしたにもかかわらず、なぜハーモニーを作ると濁ってしまうのか疑問だった。そのようなことを、図や表を使いながら詳しく書かれているため、「なるほど、だからこうなるのか。」と思う部分が多かった。

私は、高校の頃理系だったため、数学と物理を学んでいたが、本書を読んで、音楽とこんなつながりがあったのかと感動した。ただ、理系だった私でも、何度か文を読み直さないと分からない部分や、すぐに理解できない部分が多々あった。それでも、音楽に対する視点を広げるという意味で参考になった部分はたくさんあった。

この本は、音律だけでもなく、楽器との関係についても書かれているため、部活や習い事で音楽に触れていた人や、作曲や音楽に関わる編集に興味がある人におすすめしたい。ただ、物理・数学を中心に書かれているため、物理や音楽が嫌いな人は、最後まで読み進めることは難しいかもしれない。
(教2)

過去受講生の書評

  著者の小方厚氏は専門はビーム物理でありながらジャズ音楽の演奏も趣味としている。小方氏は音楽の専門家ではないがこの本で、「音の高さ」を主題とし、今までの本のように音階を物理や数学で一面的に説明するだけでなく、なぜドレミという音階が人類に受け入れられ、好まれたのか、またそのドレミの将来はどうなっていくのかについて心理学の面からも考察し、言及している。この本の構成を表すと、全部で8章に展開されている。音楽は離散化されたデジタルであること…ドレミはピタゴラスから始まった…などの音階、音律の基本的な仕組みやなぜドレミが選ばれることとなったかといったことから導入が始まり、音律の紹介や歴史、ピタゴラス音律や純正律、平均律などの音律のメリット・デメリットが紹介されていく。そして書の後半では心理物理学の不協和曲線を使った計算や実験により、ドレミの実際の不協和度や新しい音階の可能性も示唆されている。この本の内容の大半に多くの数列がでてくるため、私のように数学が苦手な学生が読破するにはかなり根気が必要になると感じた。また、小方氏は音楽を専門にしていないといいつつもこの本を読解するには、特に後半になってくるにつれ、深い音楽知識が前提として必要になってる。とはいえ、専門書ではないが、いつも何気なく聞いている音階や音律を論理的に理解するには非常に適した本なので、ある程度音楽的知見がある物理や数学が得意な学生には一度手に取ることをお勧めする一冊である。また、この本には「音と音楽をめぐる科学と教養」の講義に関連する部分が非常に多くあり、個人的に講義の教科書、復習や知識の付加をするには非常に使える本だと思ったので、この講義を受講したことがある学生はぜひ読んでほしい一冊である。
(経2)

Version 1.0.0

千住博 芸術とは何か 千住博が答える147の質問

過去受講生の書評

この本はタイトルにもある通り、日本画家の千住博が芸術についての質問に一問一答形式で答えていくものである。「一枚を描く時間はどれくらいですか?」という具体的な質問から「芸術家にとって、『死』とは何ですか?」という抽象的な質問まで幅広く答えている。

質問に答える中で千住は「芸術は人と人の心のコミュニケーションである」ということを主張している。絵画や音楽などいわゆる一般的に芸術の枠組みに収められるものだけでなく、料理やお笑いなど相手の反応を考えながら行う行為をすべて芸術的行為としている。この考えを軸にして、芸術そのものはもちろんのこと、芸術を取り巻く時代、地域、国、人、教育、価値などに関する質問に答えている。その解答は千住の「芸術の本当の姿を知っていただきたい」という願いに基づくものである。

私は絵画などにあまり興味のない人間だ。そのため読むのに時間がかかるかと思っていたが案外すらすらと読むことができた。“芸術”というとどこか堅苦しいイメージがあったが、人と人のコミュニケーションとして捉えると身近に感じる部分があった。もちろん、質問、それに対する解答のすべてを理解できたわけではない。読む中で千住が「当たり前の」とか「普通の」という表現をするところがあったがその基準、根拠はどこにあるのだろうと思ったり、考え方を押し付けられているように感じたりするところもあった。その一方でこういう考え方、見方があるのかという新しい発見をすることができた。特に印象的だったのが「謙虚さ、素直さがあるから素晴らしい作品を作り上げることができる」という部分であり、これは絵画や美術以外の場面にも通ずるものなのではないかと思った。

このように“芸術”という大きなテーマに関する内容であるが、「相手の側に立って考える」、「文化によって物の見方が違う」、「人間=芸術」などと述べている部分がみられる。このことから生きていく上での人との関わり方において大切なことを示しているように思えた。自分にない、新たな考え方を見つけるという観点から芸術に興味のある人はもちろん、興味のない人もこの本を手に取ってみてほしい。
(経2)

過去受講生の書評

この本の著者である千住博氏は1958年東京都生まれの日本画家であり、京都造形芸術大学教授を務めている。1995年にヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門名誉賞を受賞している。作品に「ウォーターフォール」「クリフ」、画集に『水の音』などがある。

 この本ではそんな著者が芸術に関する様々な質問を答えていく形で進み、例えば「作品の価格はどう決まるか?」、「西洋画と日本画の違いは?」、「芸術家は才能か技術か?」といった割と出てきそうな質問もあるが、なかには「人間はなぜ絵画を描くのか?」、「芸術家にとって死とは何か?」といった哲学的な雰囲気漂う質問まである。

 著者は本書のはじめにおいて、芸術はイマジネーションを伝えるコミュニケーション、つまり思い浮かんだ言葉で表せないような複雑なものを伝えるためのものであるということを述べてから芸術についての質問に次々と答えていく。それはインターネットの普及や高度なコンピュータ社会の到来によって、人間性や他者との関係性といったものが薄れた現代の人々に対して本当の芸術とは何か、そして人間とは何かというストレートな疑問に著者が答えていくこととしても受け取ることができる。

 この書評を書いている私は大学生であり、芸術に関してはまったくの無知…とまでは言い過ぎかもしれないが、ほとんど接点がないに等しい。今まで芸術館に行った回数は0、画集なんて持っていないし、この本を読むまでは芸術関連の書籍なんかも読んだことがない。たまたま手にしてみた本書であったが、想像の何倍も深い内容で、何よりもまず一問一答でかなり読みやすくまとめられている。例え芸術に興味がない人にも、ぜひ一度この本を読んでほしい。内容が147の質問の解答であるために詳しいことを書いてしまうとネタバレになって面白くなくなってしまうのでやめておくが、この本は単に芸術についてだけでなく、それを今まで形作ってきた人間とは一体何なのかということについても触れている。

 現代において自分がどういうものか分からなくなっている人、どこか閉塞感を感じているような人に対して、一つの生きる知恵として、新しい考え方を得られるだろう。
(経3)