第14回 音楽のしくみ

講義

ついにやっと音楽の話です(笑)
いわゆる「音楽理論」について、一般的なアプローチとは違って「科学の視点」から解説しました。

現在、このあたりの内容を詳しく解説した本を執筆しています。今年中には発売できるよう頑張っています。完成したら、ぜひみなさん買ってください!

Q&Aコーナー

今週のピックアップ

なぜ自分がクラシックを楽しめないかわかった。それは音楽の知識がほとんどないために、作曲家から伝わってくるものがなにもなく、コミュニケーションが成立していないためである。音楽の知識を少しでも身につけて、クラシック音楽を楽しみたいと思った(理)音楽理論という事前の知識があるとその曲を楽しめるというのは、映画や読書にも通づるものがあると感じました。(経) 

音楽は、音を介したコミュニケーションです。言葉の理解に単語などの知識が必要なように、音楽の鑑賞には、「音楽理論」が必要です。そうでないと、言葉も音楽も、ただの音に過ぎません。

誰もが母語を自然に学ぶように、ここでいう「音楽理論」も、音楽に触れることで自然に身につきます。しかし、勉強し経験を積むことで、さらにいくらでも深めていくこともできます。

音楽には共通の土台が必要だとありましたが、このことは音楽に限らず様々な場面で言えると思います。例えば、分からない問題を教えるときに教える側が一方的に説明しても相手の理解が不十分だとそこで差ができてしまうため、常に相手の理解を確かめながら教えていくことが大切だと思いました。(医保)

様々な知識を身につけることの最大の目的は、他人との共通の土台を増やすことだと思いました。土台が増えることで、おもしろいと感じることのできる事柄が増えると思いました(工)

ここまで理解してもらえれば、何も言うことはありません。共通の土台を広げることこそが、「教養を得る」ということです。音楽理論を深めると音楽の楽しみ方が深められると教えることで、音楽以外でも、教養があれば広い世界がもっと楽しめる、というのが今日の裏メッセージです。

音階のないドラムやパーカッションだけの演奏も音楽と言えるのではないか。(理2)

その通りです。音をつかって、緊張や緩和をつたえていれば、それは音楽と言えます。

しかしそうすると、雨音や波の音はどうでしょう? 人混みの音は?

何がどこまで音楽か。あんがい、難しい問題です。

音楽理論は、ファッションみたいだと思った(やっちゃいけない禁則はないけど、コーディネートとかで合わないとか合うとかがある)(経) 

素晴らしい洞察です。

音楽にもファションにも、文化差があり、正解がなく、個人個人の楽しみ方があるにも関わらず、でもやっぱり、ある程度の基本ルールはあり、さらにそのルールそのものが流行で変化していきます。

特に意識せずになんとなく「礼をするときの音」くらいに思っていたあの音が実は音楽理論的な背景を持つ音だと気付き、面白いと感じた。(工)

お辞儀のときによく使われる音にも緊張から緩和(カデンツ)という意味が含まれていることが分かった。(経)

そうです。お辞儀の和音は、まさに、トニック(I)→ドミナント(V)→トニック(I)の和音進行です。

これはちょっと冗談ですが、分かりやすいので紹介します。

どんな支離滅裂でぐだぐだなスピーチでも、最後に「ありがとうございました!」といえば、そこでスピーチが終わったことが伝わります。するとこの「ありがとうございました!」は、まるでV→Iのカデンツのようなものですね。この動画がしているのは、いわばそういう感じのことですね。

先生の仰っていた「音楽」の基準の線引きがいまいち分かりませんでした。「演奏者」と「聴き手」に共通の土台(共通理解)が必要とのことでしたが、これは裏を返せば演奏者の伝えたいことが伝わっていない、その音楽に対しネガティブな印象を持っただけだった人々にとっては「音楽」とはいえないということなのでしょうか。(教

「無調音楽は音楽と思えない!」という意見もいくつかありましたが、同様の考え方ですね。

しかしどうでしょう?

音楽を、言語に置き換えて考えてみたらどうなりますか?

日本語や英語など、世界には色々な言語がありますが、自分に分からない言語でも、「言語」ですよね。自分には分からないという理由だけで、それを言語ではないとか音楽ではないとか決めつけるのは、教養のある姿勢でしょうか。

そのほか

音楽とは何か?

音を介したコミュニケーションについて、コミュニケーションが成立するには「演奏者」と「聴き手」に共通の土台が必要ですが、音楽と考えたときに楽譜を音楽ととらえるとすれば、「作曲者」と「聴き手」でのコミュニケーションも成立しませんか。また、オーケストラは指揮者がいて全体の音を指揮するのは指揮者で「指揮者」と「聴き手」のコミュニケーションも成立しませんか。(工)

コミュニケーションは双方向の情報伝達のことを指すと思います。演奏者→聴き手は分かりますが、聴き手→演奏者がちょっとイメージしづらかったです。(理)

作曲者と聴き手のコミュニケーションを媒介するのが演奏者(指揮者も含む)です。(自作自演の場合は、作曲者=演奏者。)

作曲者 (→ 演奏者) → 聴き手

演奏は右向き矢印で一方通行ですが、聴き手の反応が、作曲者の曲作りや演奏者の演奏に影響するなら、この矢印は(時間遅れで)逆向きにも働くことになります。(聴き手がどう感じるかを意識しない作曲家や演奏家はいないでしょう。)

作曲者 ← 聴き手
演奏者 ← 聴き手

こうした時間遅れの相互作用を全て含めて、「コミュニケーション」と呼んでいます。

講義の中で、「シ」の音を聞いたときに「ド」が聞きたくなる感覚がするなど、感覚の話が多く出てきたが、私にはそれらが一切わからなかった。講義の中で語られていた感覚は経験で身に着いていくものなのか気になった。(工)

誰かが演奏を間違えたときに、「あ、間違えたな」と気付くことがありませんか? 気付けるのは、あなたに、あなたなりの「音楽理論」があるからです。音楽をたくさん、注意深く聴くことで、それをどこまでも深く、育んでいくことができます。

音楽の冗談

モーツァルトとハイドンの音楽の冗談と言われるような曲を聴いたが、私には正直どこが冗談なのか分からなかった。その点で音楽理論が変化しているため、冗談であるはずのものが冗談には聞こえなくなるというポイントはとてもよく理解できた。ハイドンの曲でチューニングを楽譜の中に入れているような曲構成の発想は本当に面白く、音楽好きを楽しませる演出であると感じた。(人文)

交響曲第60番第4楽章で途中がチューニングが入っていることが面白いと言われたが、なぜチューニングが入っているとギャグになるのかよく分からなかった。(法)

ハイドンが作曲した交響曲では、曲の途中で演奏者がチューニングを始めるという場面がありました。私は楽器経験者なので音を聴いてすぐにそれに気づきクスリと笑ってしまいました。(人文)

冗談というのは、コミュニケーションの中でも高度な部類のもので、“共通の土台”がしっかり共有できてないと、滑ってしまいます。モーツァルトの『音楽の冗談』を心から笑える人は、今の時代にはほとんどいないと思います。それは誰のせいというものでもなく、冗談とは、そういうものなのです。 

 こちらは、いくつかの有名なピアノ協奏曲をパッチワークで紡いだギャグ音楽です。どのくらい笑えるか、聞き手の知識が試されます。

モーツァルトの音楽の冗談のような曲が、現代の私たちが持っている共通の土台ではおかしいと感じる曲はあるのだろうかと思った。調べてみたら「めちゃくちゃ方向音痴な『ピタゴラスイッチ』」という曲が出てきて、これは多くの人が違和感を覚えると思うので、音楽のジョークといえるのだろうかと思った。(法)

紹介ありがとうございます!

音楽理論とは?

音を介したコミュニケーションが成立するには「演奏者」と「聴き手」に共通の土台である「音楽理論」が必要であり、音楽理論とは・共通の土台となる用語や経験則のまとめ・自然に形成されるコンセンサス・時代や文化により異なるということを学びました。(教)

音楽理論と言われると身構えるが、自分にも共通の土台が少しは備わっていたことに感動しました。(農)

和音にも機能があり、トニックという和音はリラックス、サブドミナントという和音は弱い緊張、ドミナントという和音は強い緊張を表現する。これも聴いてみるとこの知識がなくても当たり前のように理解できる。これが、「共通の土台、つまり音楽理論は教えられなくても身についている」ということなのかと実感した。(医医1)

みなさんの知らないうちに身についている「音楽理論」の代表が、ドミナント→トニックへ進行する和音の動きです。明示的に習ったわけではなくても、これを聞くと、一区切りがついた終わった感じがしますよね。逆にいえば作曲家は、終結感を示す目的で、この和音進行を使うわけです。文章で言えば、句点の「。」を打つようなものです。

自分なりに音楽理論を学んでみようと本屋さんに足を運び、音楽理論について書いてある本を手に取ってみたが、トニックやドミナントの説明が「リラックスする感じ」や「落ち着く感じ」、「緊張する感じ」と書かれていて「そんなの主観ではないか。やってられるか」となってあきらめていた。(理)

音楽が表現するのは、そもそも主観的な心の動きです。その心の動きを表現するのに適した言語表現を探すのは難しいのですが、強いて言うならば、最大公約数的に、「トニックは落ち着く感じ」や「ドミナントは緊張する感じ」ということになります。

ですから、まずはここを認めないと、音楽理論の勉強は先に進みません。気に入らなければ、勉強したあとにもういちど戻ってきて、自分ならどういう言葉を使うか考えてみましょう。(きっと、同じような言葉を使うことになると思います。)

音楽理論を学ぶとき、「理論を先に学ぶとそこに縛られて自由に曲を作れなくなるからやめたほうがいい」という人がいます。しかし私は反対意見で、「理論を学ぶからこそ、自分の狙ったようにメロディを作ることができ、あえてルールを外すこともできる」と捉えています。実際、曲を作る人は理論を学ぶべきなのか、そうすべきでないのか、どう思われますか?他の受講生の意見も聞きたいと思いました。(歯)

音楽理論を勉強したことによってオリジナリティのある曲が作れなくなってしまいそうな気もするのですが、音楽理論を学ぶ上での最も大きな目的は何なのでしょうか。(理)

吹奏楽部時代に、三音下げてと言われよくわからないままその指示に従っていましたが、その疑問が解けました。こうやって和声や音階のことを知っていくと、音楽は感覚だという考えがどれほど浅はかだったのか痛感しました。音楽はとても理論的なものでした。(人文)

色々な意見がありますね。皆さんはどう思いますか?

音楽理論の知識がないと、本当の意味で鑑賞していると言えないのでしょうか?(医)

音楽のいいところは、ひとそれぞれに自分の楽しみ方ができることです。音楽理論の知識の有無に関わらず、名曲は、多くの人のこころに訴えます。ベートーヴェンの「運命」を聴けば、子供も大人もプロも素人も、みなが何か感じることができる。言語化はできなくても、皆、ある程度の音楽理論を、知らぬ間に身に付けているからです。そこに、優劣をつける必要はありません。

しかし、深く知れば知るほど、新しい楽しみ方が増えるのも事実です。その楽しみを味わいたければ、勉強しましょう。音楽には、一生かかっても勉強しきれないほど深い世界が待っています。どのような大指揮者も、毎日のように楽譜を読んで勉強し続けています。

演奏者は音楽理論を知らなくても良い演奏をできるのだろうか?(教)

クラシックの音楽家に、音楽理論の知識は必須です。例えば、導音が主音を導くはたらきがあることを知っているのといないのでは、導音の演奏の仕方が変わります。具体的には、音高を少し高めて主音に寄せます。これはバイオリンなどの弦楽器だけでなく、クラリネットなどでもそうで、導音には導音用の指使いがあります。また、曲のある部分が、V-Iのカデンツになっていることを知らないと、VよりもIを力強く演奏してしまうかもしれませんが、これは音楽の持つ意味とは逆です。ジャズでも、理論がわからないと、即興演奏でどの和音や音階を使ったら良いのかわかりません。


音階

ミとファの間が半音というのは初めて知ったので驚いた。五線譜ではすべて同じだけずれて書かれているのでわからなかった。(経、他多数)

7音音階では、全音と半音の部分があることで音の並びが均質でなくなり、そこから、音のキャラ(個性)が生まれます。逆に、すべての間隔が全音の6音音階や、半音の半音階(講義では説明省略)では、音は均質で無個性になります。

アイドルグループもメンバーに、凸凹の個性があるから良いのであって、仮面ライダーのショッカーのように、判で押したよう無個性では人気は出ないでしょう。

ドビュッシーの曲はなぜこんなに「ドビュッシーっぽさ」があるのだろうと疑問に思っていましたが、全音音階がその正体であることが知れて良かったです。(経2)

私は、全音音階の曲を聴くと非常にふわふわとするような、宇宙にいるような、くらくらするような不思議な感覚になったのだが、この音階ごとに感じる印象というのは、いつどこで学んだのであろうか。(医)

ドビュッシーのヴェールを聴いた時には、なんともいえない、ふわふわと漂うような感じがしたと思います。初めて全音音階を聴いたはずのに、なぜこのように感じることを、脳は知っているのでしょう?

それは、皆さんがドレミファソラシドの全音階を聴き慣れているからです。だから瞬時に、それとは違うものだと分かります。ふわふわする感じがどこから来るかというと、主音がわかりにくいことが原因です。全音音階にはソもシもありません。つまり、属音と導音の機能をする音がないのです。そのため、主音がわかりにくい。主音がわかりにくいということは、音楽がどこに向かっているのかが分かりにくい。こういったことを、知らず知らずのうちに、皆さんの脳は、「自分なりの音楽理論」として学習しているのです。

よな抜き音階は日本音楽に特有の音階という認識があります。(理)

五音音階は日本だけの音階じゃないのに、日本らしいと言われるのはなぜですか?(教)

ピアノの黒鍵のみを弾くと中華風な音階に聞こえるのですが、これにも何か名前がついていたりするのでしょうか。(人文)

装飾を剥ぎ取った素朴なものには、文化を超えた人類的な普遍性があります。五音音階もそのようなもので、日本らしいというより、人間のルーツを想い起すような懐かしい感じというべきなのでしょう。

ピアノの黒鍵のみを弾くと、それがまさに、ヨナ抜き音階ですよ。

ドビュッシのヴェールの曲における6音音階から5音音階に変化する箇所を実際に聴くと、5音音階になった瞬間に全体の華やかさが各段に増したのを感じ、こんなにもはっきりとした違いがあることに驚きました。(人文) 

Debussy 作曲 「ヴェール」での5音音階・6音音階の使い分けの違いがなんとなくしか分からなかった。(理)

違いが分からなかった人は、自分の「音楽理論」を育てるために、もっともっと、多様な音楽を聴いてみるといいかもしれませんね。

音律

複数の音律を引き分ける弦楽器は、すごいと思った(複数)

最後のバイオリンの少しの音の違いが、はまった感じが凄かったです(教)

自分がバイオリンを弾いている時、和音と旋律で同じ音を出そうとすると違和感があって、勝手に指の位置を少ししっくりくるところに変えていたが、これが正しいことだったと知って驚いた。このような奏法が実際にあるということを今まで知らなかったため、本当にためになった。(農)

複数音律の併用の部分で実際にきいた演奏で後者の方が良いと先生はおっしゃいましたが、違いが分かりませんでした。(医)

音のはまり具合の違いが分からなかった人は、自分の「音楽理論」を育てるために、もっともっと、多様な音楽を聴いてみましょう。

単に聞き流すのでなく、集中して聴くことや、自分で演奏したりすることで、なお一層、聴き方が育まれます。

複数音階の併用というスライドで、楽譜上の和音と旋律では同じ音を表していても指を少しずらして抑えるというのは、楽譜上には明記がなく、演奏者が感覚的に抑える位置をずらしているということですか?それとも他に決まりごとがあるのですか?(工)

どの音律で弾くべきかは、楽譜に明記されていません。前後関係から、演奏者が読み取るのです。クラシックの演奏家が音楽理論を学ばないといけない理由は、こういうところにもあります。

吹奏楽をやっていた際、3和音を意識して3音は低く、5音は高くというものを意識していたのですが、それはバイオリンでやっていた複数音律の併用とは違うものですか?(農)

まさに同じことです。

ヴァイオリンが曲中に音律を変えて演奏していて驚いたが、オーケストラなど他の楽器と合わせて演奏すると不協和音になってしまうのではないか?(経)

その通りです。ピアノと合わせる時もそうですね。ですから、どの音律で弾いたら良いのか、絶対的な正解がないことが頻繁に生じます。それでも、いかに耳に心地よく聞かせるかというところに、プロ奏者の工夫と技術が発揮されます。

無調音楽

無調音楽はデタラメに弾いているようだった。(多数)

無調音楽なるものを今回初めて耳にしたのだが、不協和音を聞いた時と似たような感覚になった。(農)

無調音楽をこの講義で初めて聴いて、調の大切さと、普段自分の耳がどれだけ調に慣れているかを知ることができました(法4)

今日聴いた無調音楽はとても不安で怖い感じがして、ホラー映画などで流れていそうだと感じました。(医)

主音がはっきりしていない無調の音楽を聴いた時不気味な感じがして面白かった。(工)

無調音楽など音楽理論から明らかに外れた音楽は、もはや音楽として受けとめることができません(医保)

無調音楽というものを聴いたときに衝撃が走った。音楽における調とは何なのかということは大体わかっていたつもりだったが、それが全くない音楽があるという発想は今まで全くなかった。曲の中のまとまりが全く認識できず、旋律の全体像も全く見えない、本当に正体不明の音楽という印象だった。(人文)

当たり前にあるものが無くなって、初めて、その存在の大きさに気付くことがあります。

無調音楽を聞くことで、逆に、調性音楽の意義をはっきりと感じることができます。無調音楽に感じられる心地悪さは、いかに調性音楽に我々の脳が染まっているか(調性音楽の音楽理論にはまっているか)の、証明そのものです。すると、そもそも、その前提となっている調性そのものが嫌だ、つまらない、束縛から逃れたい、という欲求が生まれてくることも、理解できるかもしれません。そうした人たちにとっては、無調音楽こそが、心に響く音楽なのです。

乱雑にピアノを鳴らしても無調音楽になる気がします(経)

単にデタラメに音を鳴らしても、無調音楽にはなりません。デタラメに弾くと、ときには偶然に、調性を感じられるような音の動き(ドミナント→トニック)が出てきてしまうことがありますが、そうしたことが起こらないように、注意深く計算されています。

こうした技法を突き詰めたのが12音技法です。そして、この考え方を、音高だけなくリズムや強弱にまで拡張したのが、トータル・セリエリズムです。

和音

クラシックでは3和音だが、ジャズやポピュラーではどうして4和音が基本になるのでしょうか。ジャズやポピュラーは3和音ではダメなのでしょうか。(農)

ジャズやポピュラーは、「クラシックぽさ」を嫌います。真面目すぎるからです。友達と遊びに行くのにスーツや制服では嫌だ、もっとカジュアルな服を着たい、みたいな感じです。

で、クラシックとの違いを出すのにお手軽で便利なのが、4和音です。アクセサリーをつけておしゃれをするように、音を足します。

米津玄師などの歌手が不協和音を曲中で使っているということを聞いたことがあったが、なぜ完全協和や不完全協和の方が綺麗な音なのに不協和音を使っているのか?綺麗な音を使った方が素人の僕からしたら良い曲が出来そうな気がするのですが。(経)

不協和音はそれ単体で聴くと、「なんだか気持ち悪い」「濁っている」と違和感を持ってしまいますが、曲の中での不協和音はあまり違和感を感じることがありなく、むしろそれが心地いいと思うのはなぜですか。

不協和音で緊張を与えた後に、それを協和音で解決してあげることで、快感が生まれます。

音楽を料理に例えると、不協和音はワサビや胡椒のようなもので、それがメインディシュになることはありませんが、うまく添えると全体が引き立つのです。

効果的に使われる不協和音は、極めて美しいものです。モーツァルトの弦楽四重奏曲第19番は、別名「不協和音」とも呼ばれる曲で、ゆっくりとして不安定な不協和な響きで始まり、ぞくぞくするような美しさです。これにより主部の明るさが一層引き立ちます。

欅坂46の「不協和音」は、映像冒頭の効果音以外、曲中に不協和的な響きがあるようには聞こえません。これは音楽ではなく歌詞につけた題名でしょう。

和音進行

他の国の「王道のコード進行」はどうなのか、気になりました(教)

文化によって、好みのコード進行は違ってきます。Axis of Awesomeというオーストラリアのバンドがネタにしたように、洋楽では I–V–vi–IV の進行がヒット曲に頻発しますが、このコード進行などすごく洋楽的ですね。

ドミナントよりもっと緊張感のある和音はありますか、もしあるならドミナントより緊張感あるのコードを作れば、ドミナントは人にリラックス感を感じさせられますか。(工)

新潟(トニック)から東京(ドミナント)に行き、さらにそこからニューヨークに飛ぶとしましょう。この場合、ニューヨークから東京に帰ってくると、東京はドミナントだったはずなのに、ホームに戻ったようなリラックス感を感じます。

転調は、このような心の動きを表すのに使われる作曲テクニックです。曲を「新潟=トニック、東京=ドミナント」として始めた後に、途中で転調し「東京=トニック、NY=ドミナント」にしてしまいます。活躍のステージが、一段上がった感じです。そしてまたトニックが東京、そして最後には新潟に戻ることで、本当に曲が終わった感じがします。

その他

受講生が紹介してくれた動画を紹介します(全部ではなくてすみません)